第四話 ヨットと遊ぶ

セーリングはヨットを手段にしてセーリングという遊びをする行為です。しかし、考えようによっては、ヨットで遊ぶでは無く、ヨットと遊ぶという考え方もできます。

我々は風を気にします。当然必要な事で、意識は風に向かう。しかし、ちょっと見方を変えて、意識をヨットに向ける。風はヨットと遊ぶ上でのフィールドの一部、環境に過ぎないと考えます。自分はヨットを見ています。

風が変われば、操作を変える。すると、ヨットはそれに応じた動きをします。しかし、ヨットには性能というものがありますから、限界が来れば、それ以上耐えられなくなるかもしれません。すると、操作を変えなければなりません。それで、ちょっと調整を変えて、今度はどうか? 上手い事行けば、ヨットはバランス良く走らせる事ができる。スピードも上がるでしょう。

風や波の動きに対して合わせるのであるが、それはやり方は同じでも意識的にはちょっと違います。ヨットの動きを遊ぶ。この風で、こう調整したら、こういう動きになって、ああしたら、こういう動きに変わって、そういう事を通じて、風の中で、ヨットと遊ぶという感じです。意識はヨットにある。

この風では、こうしたら最も速く走れるという理屈はあります。しかし、ヨットと遊ぶというのは、この風の中で、どういう走らせ方をしたいのか?

ヨットは物質に過ぎないのですが、例えば、馬に乗るかの様に、ヨットを操っていくという感じかな?
ヨットは従順ですから、操作通りに動きます。しかし、風があるので、自分の思う結果にはならないかもしれません。そこがヨットと遊べる所以であります。

海というフィールドにおいて、風と波という環境下において、ヨットと遊ぶ。ヨットには、船名も付けましたし、可愛がって、性能を高くキープしておいて、そうすれば、ヨットともっと遊べる事になります。
そう考えますと、ヨットさえあれば遊ぶ事ができる。

新しい艤装も、機械も、装備品も、ヨットと遊ぶにおいて、面白いかどうかで決める事ができます。
風という環境はいろいろ変わりますから、いろんな条件というものが、その都度設定される。だから、同じヨットを使っても、条件が違いますから、いろいろ遊べますね。

ヨットと遊ぶから、ヨットの動きに敏感になります。その動きを感じて遊んでいるわけですから。意識はヨットにあって、外にあるわけじゃない。ヨットをいかに走らせるかは、ヨットといかに遊ぶかという事になります。より良く遊ぶには、そのヨットの特徴、性能、癖、なんかも知る必要があります。その特質を知ったうえで、いろんな風の中で、より良い操作を模索していく。上手く走ってくれたら、ヨットを可愛がりたくなりますね。本当は自分次第なんですが、考えようによっては、ヨットは生きた乗り物みたいです。

ヨットと遊べるようになったら、セーリングの理屈も知ったうえで、ちょっと遊び心を持って遊ぶ事もできます。オーバーヒールしたら、効率が悪くなる。そんな事を百も承知で、ちょっとやってみるとか? 理屈は理屈、過去から築き上げられたものですが、それはそれとして、そこをちょっと外れたような遊びもできるかもしれない。それは、ヨットと遊んでいるんですから、良いんだろうと思います。面白さの追求のひとつであります。ヨットは良き相棒、パートナーみたいなもんです。

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