第九十九話 対立軸と目標

日本人は世界的に見て、稀有な存在だな〜と感じます。これは外国から見て、理解不能、価値観の違いと言えばそうなんですが、変だとしか見ないかもしれません。侍の切腹とか、特攻隊とか、外国から見たらクレージーとしか言い様が無いかもしれないが、日本人にとっては、全く違う見方を持っている。それは理解不能だろうな? 彼らには。

狩猟民族は常に対立軸を探し出して、それに勝つ事を望む。それが目標となり、発展を生み出す。そんな風に感じます。しかし、日本では、江戸時代とか昭和の時代とかの様な平和な時代があって、特に、対立軸みたいな物が無くても発展をする事ができる。実に自己規律が高い。終身雇用制も年功序列も、日本ならでは、日本でしか通じない制度だったのかもしれません。安心すると働かないか、安心だから働けるという違い。

戦後の対立軸は米ソであります。その一方のソ連が崩壊した時、中国は資本主義を少し取り入れたりして、対立軸としては、何だか曖昧ですし、何か無いかな〜と思ったら、国の規制というのがあって、もっと自由に活動させろという具合になっきた。

その対立軸では無く、一緒に発展しようと考えたのかどうか解りませんが、ユーロ諸国は問題だらけ。内部矛盾を抱えてしまった。対立軸が無いと、対応すべき事が不明確で、矛盾も生まれる?

そういう対立軸が無くても発展できるのが日本という珍しい民族なのではなかろうか?良く、仮想敵国とか言いますし、それを意識の向けどころと設定した方が、解りやすいという事かもしれません。しかし、日本人は仲良くする事を好むし、できれば敵なんか作りたくないと考える。敵なんかいなくても、発展できるんですから。

それは自己完結型かな?和をもって尊しとなす。という言葉もあります。武道は敵に勝つという事もあるのだろうが、自己鍛錬という意味合いもある。

農耕民族である日本人の相手は、いつも自然に対するものだったかもしれません。しかし、別に対立するものとしての捉え方では無く、調和を求めたのではなかろうか?季節の変化に対して、うまく調和していける処に知恵を絞った。 これって、セーリングそのものじゃないかな?

対立軸は無くても良いが、日本人に必要なのは目標だろうと思います。狩猟民族は敵に勝つ事を目標にし、日本人は対立は必要無いが、何らの目標を要する。戦後の、追いつけ、追い越せなんかそうでしょうね。農業にしたって、収穫という目標があります。

それで、セーリングにも目標が必要でしょう。レースは勝つ事であり、クルージングは目的地があります。それで、セーリングというのは、自然と調和しながら、そこに明確な目標設定があれば、日本人にはぴったり最高の遊び方になる。

まあ、武道のような自己鍛錬とか言うと、ちょっと引きますね。だから、何か目標を持ちながら、自然との調和をしていく。これが日本人に合う乗り方では無かろうか? 

完全レジャーは、年に数回程度で良い。仕事しているからレジャーが生きる。これをしょっちゅうやるようになりますと、日本人はそこに探求心を自然に持つようになる。毎週の様にボーリングしたり、映画みたりすると、あ〜楽しかっただけには留まらず、何らかの探求心が生まれていく。だから、しょっちゅうやるならセーリングに上手くなる事が必要で、レジャーに留めたいなら、たまにしかしない事ではなかろうか?

それで、趣味的、探求的セーリング、ここに何らかの目標を立てようと思います。これが次のテーマです。これさえ、具体的に設定できれば、日本人には鬼に金棒でセーリングを堪能できるのではなかろうか?

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