第八十八話 冒険

ある方から聞いた話なんですが、お年寄りにアンケートを取って、唯一後悔する事は何でしょう?と聞いた処、共通の答えがあって、それは、もっと冒険しておけば良かった、という事だそうです。

冒険にもいろんな冒険があると思います。それこそ、ヨットで太平洋を横断するのは冒険ですが、その他にも、日常生活の中でも、より安定と安全を思って、冒険しなかったというのは良くあります。年を取れば、取る程に、保守的になると言われます。安全に暮らしてきて、その結果、もっと冒険しておけば良かったと後悔する方が多いそうです。

気持ちは解りますね。自分自身を振り返っても、心当たりがたくさんあります。でも、今、仮に昔に戻れたとして、冒険できるのかと言いますと、疑問であります。それで、やっぱり、年取って、もっと冒険しておけば良かったと思うのかもしれません。

冒険という言葉は兎も角、何か新しい事へのチャレンジとしても良いと思います。常に、保守か挑戦かのせめぎ合いになります。だから、勇気を持ってチャレンジというのは簡単なんですが、現実はそう簡単では無い。だから、せめて、保守と挑戦のせめぎ合いがあると、確認する事だけでもしたら良いんじゃないかと思います。結果的に挑戦しなくても、そのせめぎ合いがあるという事を自覚する事で良いんじゃないかと思います。そう続ければ、そのうち、挑戦の方に傾く事があると思いますね、わずかでも。そのわずかが、後に増えていくかもしれません。増えないかもしれない。でも、それをまた認識していることで、後後の後悔の仕方も変わるかもしれない。できれば、挑戦した方が良いわけですが。

ちょっとした挑戦。そこから始める。何も、物理的な危険を伴う必要は無いと思います。新しい事へのチャレンジであります。但し、物理的では無いにしても、何らかの精神的な危険はあるかもしれません。挑戦にリスクはつきものでありますから。でも、常に挑戦する人は、その危険度より、挑戦の面白さを重視している。だから、そのハードルは低い。

無謀はいけませんが、十分な準備のうえに、チャレンジをする。その面白さに挑戦する。多分、面白さを見るか、リスクを見るかの違いかもしれません。このTALKにしても、かなり保守的であります。それで良いのか?もっと書きたい事を書けないのか?

大きな挑戦で無くても、小さな挑戦でも、積み重ねたら大きくなる。まずは、小さな挑戦をちょいとやる事を認識しておいたら良いのではなかろうか?新しい何かに挑戦する事です。それが、人生にもたらす影響は如何程か? 仕事だろうが、遊びだろうが、何であろうが、最後に来るのは自分の人生でありますね。人生観であります。

だから、ヨット、セーリング、云々とどんどん考えて行った時、最後に行き着くところは、やっぱり人生観なのではないかと思います。自分の人生はどうあるべきか? どうしたいのか? そして、多くの方々がもっと冒険しておけば良かったという事になっていくのかもしれません。完全に満足する事は無いかもしれませんが、できれば、まあまあ面白かったな〜と言えるようにはしたい。

それで、プチチャレンジであります。ほんの少しだけ挑戦してみる。してこなかった事にちょっとチャレンジする。これをセーリングに当てはめると、セーリングには無限のチャレンジがあります。長年のプロが今でも試行錯誤しているのですから、我々にとっては無限であります。セーリングはレーサーの人だけがやる事では無く、すべてのヨット乗りができるチャレンジであります。この世界をいつか極めてやるぞ、というぐらいの気持ちで、今少しづつチャレンジしても良いんじゃないでしょうか? それによって必然的に上手くなるし、うまくなればなる程、自由自在感が生まれ、セーリングの世界がより解っていく。その世界は解らない人には解らないんですね。同じようにセーリングしていながら、そのセ−リングの世界は違うんですね。

そういうチャレンジを続けて行ったら、もっと冒険をと後悔しなくて済むかもしれないし、少なくとも、まあまあ面白かったな〜と言えるかもしれない。軽い気持ちで、プチチャレンジを始めよう。

次へ       目次へ