第七話 人間の感覚

感覚器官で外部情報を入手し、頭脳で分析して判断、そして諸器官に命令を下す。それが我々が常に行っている事ですが、ならば、最初の情報の入手において、どれだけの情報を入手できるかは、我々の感覚の鋭さによります。ですから、より多くの情報を入手できた方が、より正しい判断もできる事になります。頭脳の働きは、過去の経験において積み重ねてきた情報と照らし合わせて、分析する。全く新しい情報の場合は、それはスリルだったり恐怖だったり困惑だったりするかもしれない。しかし、それも経験として過去のデータになっていく。

年を取りますと新しい情報に拒否反応を示すようになりがちです。過去の経験の中と同じような経験ならば、少なくとも困惑する事はないので、安心であります。たくさんの経験を積み重ねていけば、それだけ新鮮な経験は少なくなります。だから、安心だし、余裕でもある。

ところが、あまりにも新鮮な事を経験しないと、感性は刺激されませんから、退屈感を覚えるか、それならまだ良いかもしれませんが、知らないうちに、感性は鈍り、まさしく年寄りになってしまいかねません。それだと、人生、面白く無いですね。

だから、何か新鮮なものに出会う必要があります。それが何であっても刺激になる。感性は刺激される事を喜びとしているかと思います。本人が好むと好まざるとに拘らず、感性そのものは、刺激がほしくてたまらないのではなかろうか? 

良い刺激ならば、本人も満足ですが、悪い刺激ならば嫌なものです。でも、感性はどちらでも良しとしているのではなかろうか? いずれにしろ、感性は刺激が無いと朽ち果てていく。刺激が飯みたいなものかな? だから、できれば良い刺激を与えて、感性をシャンとさせておきたい。

ところが、ある新鮮な刺激は、やがては過去のデータになってしまうという厄介さがあります。それは慣れという面では良いのでしょうが、刺激という面ではもはや刺激にならなくなります。それがもどかしい処かもしれません。どんなに美しい奥さんをもらっても、最初の刺激がずっと続く事は不可能です。美人は三日で飽きるとか言う言葉もあるぐらいですから。

美しいヨットは感性を刺激します。キャビンが広いと刺激を受けます。豪華なヨットだと刺激になります。でかいヨットは刺激になります。これらの反対でも刺激になります。好ましくない刺激は受け入れがたいので、できるだけ好ましい刺激を選ぶ事になります。ただ、どんな刺激であれ、そこに留まる限り、刺激はそこまでですから、それらも重要ではありますが、大事な事はそこに留まらない事ではないかと思います。

つまり、我々人間は生きている限り、何らかの成長を続けなければならないのかもしれません。そうでないと、年取って、ボケてしまう要因になるかもしれません。若々しい事に一種のあこがれを持ちますが、それはどれだけ新鮮な刺激を得ているかで決まるかもしれません。何かに感激するような好ましい刺激が、たくさんあればある程、感性や頭脳は栄養を得ていきますから、衰えないのかもしれません。若者にとっては、経験不足ですから刺激がたくさんあります。だから、彼らは若々しい。しかし、年寄りは経験豊富ですから、新鮮な刺激は少なくなります。だから、敢えて、探してでも見つける必要があるのかもしれません。刺激を求める好奇心旺盛な人というのは、若いんだぞと宣言しているようなものかもしれませんね。

という事は、年取れば取る程に、冒険しなければならないのかもしれませんね? 安心に安住していてはいけないのかもしれません。プチ冒険をたくさん散りばめていけば良いのではないでしょうか? それを最も簡単に求めるには、好きな趣味によって達成されるのではないでしょうか? 趣味は成長を伴う遊びなので、成長は常に新鮮さを伴います。趣味を持って、そこに成長を求めていく事は素晴らしい刺激になる。 健康の為に走るのは良いが、健康の為だけなら心身ともに健康になれないのではなかろうか? やっぱり、そこに無理のな無い成長を求めなければならないのではなかろうか?まあ、ちょっとぐらい無理するぐらいでも良いかな?

という事で、ヨットが趣味では不十分なのであります。ヨットの中でも、成長を促す内容を伴う方が良い。だからセーリングに刺激を求めるのは、若い証拠。若いという事が良い事とは限らないし、若さを求めてという事では無いかもしれませんが、結果そうなっちゃうんですね。セーリングにグッドフィーリングを求めて、結果的にスピードを得てしまう。それと同じかな。

次へ       目次へ