第五十四話 楽しくするより面白く

振り返って見れば、楽しかった事などそう多くは無い。冷静に客観的に見てみますとそうだろうと思います。みんなが集まって、ワイワイやったのはいつだっただろう? あの時は楽しかった。良い風が吹いて、快走した時はとても楽しかった。楽しかった事は確かにある。しかし、全体の割合から見ればどうだろう。

せっかくみんなを誘ってのに、雨だったり、風が強すぎたり、或は風が無くて、ただ暑いだけだったり、そんな事はざらにある。でも、ただ、そんな偶然のような幸運を願って、また楽しさを求める。そんな事を繰り返してきたような気がします。

結論から言うと、あまり楽しい時は多くは無いという事であります。たま〜にはある。そのたま〜の為のヨットなのか? そんな疑問も沸いてくる。そこで、考え方を変えて、楽しい事を求めるよりも、面白い事を求めようという話です。面白さは楽しさとは違います。

何かに疑問を持って、いろんな工夫をしたり、試行錯誤をしたりする事があります。その結果、その答えが見つかると面白さを感じます。楽しいとかの次元では無い。もっと上の、面白さであります。こういう面白さは、発見とか、新しい知識とか、腕の向上とか、そういうものを伴います。つまり、楽しさはその場の事であって、面白さは成長を促しますから、続くわけであります。もちろん、楽しい中にも、何かを発見する事はある。でも、それを意図してやるという事を意識した方がもっと発見できるのではなかろうか?

そこで、楽しさを求めるよりも、面白さを求める意図を意識してはどうでしょうか?それは、やっぱり真剣セーリングを時々でもやる事だろうと思います。真剣にやればこそ、疑問が沸いてくる。こういう時はどうしたら良いんだろうか?それを自分で考え、答えを見つける処に、面白さの源泉があるのではなかろうか?

人生だって同じだろうという気がします。幸福、幸福と言ったって、そうそう転がっていはいない。偶然にも環境が整ったら、幸福感を感じるが、偶然任せでは頼りない。それより、幸福になろうなんて考え無いで、面白さを求めた方が良いのではなかろうか? その為に、工夫します。そうしたら、そのうち面白さが沸いてくるかもしれない。それって享楽的な楽しさでは無いが、案外、楽しさも沸いてこないか?

真剣セーリングと言っても、ガチガチに凝り固まって、全神経を集中させてなんてばかりでは疲れてしまう。だから、臨機応変が必要であります。シングルの時は真剣にやるチャンスです。ゲストが来れば、それなりのエンターテインメントも必要です。シングルでも、あまり気が乗らない時もある。疲れている時もある。そんな時は流すようなセーリングもあるだろう。要は、バランス良く、環境と自分の心の状態と、意識とをバランス良く使う事だろうと思います。これがなかなか難しい。これがいとも簡単にできる人は達人かもしれないな〜。

だから、ヨットの達人を目指して、運営の仕方の達人ですが、工夫したり、試行錯誤したり、そうしながら発見があったりして、そういう事を続ける事で、面白さがどんどん創造されていく。時にはダレたりしながらも、そんな時は仲間を招待して楽しさを求める事もある。要は、自分が何をして、どんな状態かを知る事ではなかろうか?そうしたら、いつも臨機応変であります。

あらゆる装備は、ちゃんとその役目がある。その役目を理解する事から始まって、それらが複雑に絡まっていくので、そこを徐々に理解していく。解るというのは面白いですね。できるというのは面白い。セーリングってとっても難しいので、終わりの無い、永遠の面白さを求める事ができます。

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