第三十話 自由往来

全く違う発想から話を聞くと、驚いてしまいます。そんな考え方もあるのか?どこから、そんな発想が出てくるんだとか、感心してしまいます。天才か〜と思ったり。

映画なんかも同じで、ハリウッド映画を昔は面白くて、CGなんかにも感心して見てましたが、最近では、そんな事にも驚かなくなりました。ストーリーもワンパターンだし、アクションもワンパターンだし、もうすごいというものがなかなか無い。

こういうCGやアクションよりも、脚本の問題かな?新しい視点、新しい発想、これらはなかなか出てくるものではないが、それだけに、新鮮な発想に出会うと、良い意味での驚きを与えてくれる。それらは、我々の常識や、世間で知られている事とは違う視点ですから、新鮮であります。

ところが、一方で、ワンパターンなんだけれど、見たくなるというのもあるんですね。テレビでやってました水戸黄門とかは、いつもワンパターン。また、男はつらいよもワンパターンなんですが、でも、なんだか見てしまう。そういう面も持ち合わせています。おおいなるワンパターンとか言われました。

多分、ワンパターンの中に、我々日本人が持つ共感する何かを感じるのではないかと思います。、ちょっと配役を変えるだけで、内容にはあまり変化は無い。しかし、、我々日本人が共感する何かがあるからこそ、解っているのですが、見てしまう。そして、見た後も、悪い気はしないんですね。

我々は、常に新鮮さを求める部分と、共感を求める部分の両方を持っているのかもしれません。という事がもし本当なら、この二つを織り交ぜながら考えるのが良いかもしれない。新しい事を求めるのは、真剣セーリングです。そして、共感を求めるのは、ピクニックセーリングかもしれない。これは緊張と緩和という事と同じかもしれません。

ところで、話は変わりますが、グローバリズムという言葉を良く耳にします。その代表格がTPPの問題でしょうか。これなんかは、新しいモノを求める改革派みたいなもので、これに対して、従来からの伝統や文化を守るというのは、共感の方かもしれません。という事は、どちらも行き過ぎてはいけないんじゃないかな〜?この場合の行き過ぎは、片方を壊す事になりかねない。

我々が両方の価値観を持っているとしたら、どちらも無くすべきでは無い。時と場合に応じて、両者を行ったり来たりできる自由を確保した方が良い。自由も良いが。、行き過ぎると苦しくなり、だから少し戻って、でも、縛りすぎると、やっぱり苦しくなるのでまた戻る。中庸とはなるほどねと思います。

新しいモノを求めては戻り、伝統的なモノを求めては戻りというようなジグザグ走行みたいなのが丁度良いのかもしれません。ある極と、反対の極の間に丁度良いポイントがあって、そこをうろうろするぐらいが良いのかもしれません。そこを探す旅をずっと続けているのかもしれませんね、規制緩和、おおいに結構なんですが、何でも緩和すれば良いわけじゃない。自由と伝統の両方を両立させる点を見出さなければならないのかもしれません。現象という点から見れば。

一方、人という点から見ると、その両方の中間というバランスでは無く、両方を往来できる自由というものが確保されるべきかもしれません。

セーリングにも、緊張と緩和があり、その中間に正解があるのでは無く、両方を意識的に上手にコントロールする事が重要なのではないかと思います。バランスとは中間にあるのでは無く、両方を均衡させる事では無く、どちらに行っているかをコントロールして、どちらにもいけるようにしておく事が重要なのかと思います。新しいものは伝統が支え、伝統は新しいものが支える。緊張と緩和、上と下、右と左、速いと遅い、重いと軽い、云々、何でも中庸から出発して、両方を行き来する自由こそが確保されるべきではないかと思います。

ヨットにも革新的な新しいヨットがどんどん出てくるべきだし、スピードもどんどん追求するヨットがあり、一方では、伝統的なヨットもある。両方があるべきだと思います。そして、自分の均衡ポイントがあって、そこから両方に自由に往来する。緊張と緩和を意識的にコントロールしながらの自由往来。これをゲームにできたら面白いに違い無い。

次へ       目次へ