第二話 それぞれのセーリング

セーリングの重要性は人によって異なります。レースをする人、セーリングを堪能したい人、沿岸クルージングの人、外洋クルージングの人、そしてピクニックセーリングの人、それぞれ、セーリングに対する思いは違うし、考え方も違う。従って、求めるセーリングも異なっていきます。

この中で当社が重視しているのは、セーリングを堪能する人です。日本人の気質や環境を考えても、最も日本人に合う乗り方ではないかと思いますし、それ以上に、セーリングは求めれば面白いと思うからです。

セーリングに面白さを得るには、初心者段階の動かせれば良いという状況から、少し前に進む必要があるとは思います。セーリングの理解を少しづつ深めていかなければならない。そこに学びと練習が必要になる。これを面倒くさいと思うと進めませんが、それを何とかちょっと頑張って、先に進みますと、きっとセーリングの面白さが解ってくるのではないかと思います。

ただ、ピクニック的にセーリングしていたのが、ちょっとセーリングの深さを覗いてみたら、これまでの楽しさとは違う、面白さがそこにあると気付かれるのではないかと思います。ひとりでも多くの方が、セーリングの面白さを堪能されるようになると嬉しいのですが。

何度も書きますが、セーリングの面白さはレースの勝負にあるわけではない。レースの面白さというのは、他の艇と競い、いかに勝利を収めるかにあると思いますが、セーリングの面白さは、セーリングそのものある。セーリングについて、深く知り、上達していきながら、その都度のフィーリングに、ある種の特別な感覚を得る。その上達の過程と、その都度のフィーリングに面白さを感じる。
それはピクニックでは無いし、レースでも、クルージングでも無い。

もうずっと前ですが、セーリングしていて、しびれるような感覚を得た事があります。私の出発点はそこかもしれません。そして、初めて、アレリオン28でセーリングした時は、そのセーリングの滑らかさに驚きを感じ、その加速感に面白さを感じました。セーリングというのは、走らせるだけで、そこからいろんな面白さを引き出せるものだと思った次第です。

いろんなヨットにいろんなセーリングがあります。そして、そのそれぞれのセーリングにどう対応するかが、セーリングを面白いものにするかどうかを決めると思います。その対応の仕方が、セーリングに対して科学的アプローチをしながら、集中力を発揮していく事にあると思います。

理論を理解し、実践で試す。集中力をもって。そんな事を続ければ、うまくならないはずがありません。うまくなれば、また、その先も見えてくる。だから、もっと先の世界も手にする事になります。
それには、科学的アプローチをベースにした、練習がどうしても必要になる。

練習を意識、その都度のテーマを意識すると前に書きました。面倒くさいと思えば、それまでですが、でも、それをやってきた人と、そうで無い人では、同じセーリングをしながらでも、世界は違っているかと思います。頭の中が違うし、感じている事も違う。似ていて非なるものかと思います。
そして、練習そのものが面白さにもなっていく。何しろ、セーリングに対する冒険のようなものですから。

多くの場合、そこまで考えないのかもしれません。確かに、宴会は楽しい、大勢でにぎやかにやるのも楽しい、ピクニックも爽やかで気持ちが良い、コクピットでビール飲むと旨い。それはそうなんですが、でも、セーリングは面白さにもなります。だから、そのセーリングを求め、冒険しようという話です。楽しさには冒険が無い。でも、セーリングには冒険がある。だから面白いんですね。冒険は簡単なら冒険とは言いません。だから練習も必要になる。でも、だからこそ味わえる面白さがある。これを味わうか、味あわないで終わるか?

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