第二十三話 仕事と遊び

仕事と遊びは切り離して考えられます。でも、共通点もあるかと思います。仕事は誰もが真剣に集中力をもって行います。その結果、その仕事に対しても面白さを味わう事ができます。それは遊びにおける面白さとは何が違うのでしょうか?

前に書きました集中とリラックスという事をあてはめて考えますと、仕事と遊びには確かに違う要素がたくさんありますが、でも、仕事は真剣に集中して誰もがあたり、その仕事に習熟していきますと、リラックスして取り組む事ができて、そしてある種の面白さを感じる。とするならば、している行為の内容は違うけれど、遊びも同じであります。

その行為を楽しむ為には、それが仕事であろうと、遊びであろうと、真剣に集中力をもってあたる事が必要なのではないかと思います。もちろん、享楽的な楽しみ方は、仕事には無いかもしれない。それは、ある種の遊びにおいて得られるものかもしれません。しかし、その遊びにおいて、レベルであるとか、習熟するとか、より多くの知識とか、そういう要素が加わると、もはや享楽的遊びでは無くなり、面白さというレベルに上がっていくのではなかろうか?

仕事は誰でも真剣にやります。でも、遊びも真剣にやらないと面白さが得られ無い遊び方もある。
ヨットなんかはその典型であります。技量を求められる遊びはみんなそうでしょうね。だから、そこに真剣にあたり、技量を高めてリラックスもできる時、面白さが訪れる。

仕事でも、遊びでも、真剣にやって、技量が高まって、うまくこなせるようになると、そこにある種の面白さが生まれてくる。そういう意味では同じなのでありますね。ただ、仕事はやらなければならないという強制的な意味合いがありますが、遊びは任意ですから、好きか嫌いかで左右されます。
嫌いな事は、任意ですから真剣にはやれません。逃げたくなります。ですから、好きなのかという事が重要であります。少なくとも嫌じゃ無い。

しかし、強制だろうと、任意だろうと、ある一定期間でも、真剣に取り組むならば、ある種の面白さが沸いてくるのではないかと思います。だからこそ、そういう時期を持つか持たないかは大きな違いを生み出すのではないかとも思います。

しかし、真剣に取り組めば、嫌な事も起こる。時化にも合うだろうし、難しさも解ってくる。やっかいな事に、そういう事が解る事が面白さの要因としても必要なんだろうと思います。人間というのは本当に面倒くさい。しかし、そういうものである以上、それに取り組んで、面白さを得ていくか、表面的な要素を舐めていくか?そこに生き方の違いというものが生まれる。それが、楽が良いのか、面白いというのが良いのかという選択になるかもしれませんね。

いつも思う事は、ヨットは、長い期間、少なくとも5年、10年、或は、20年という長い期間に渡ります。この時間の長さにおいて、充実したヨットライフを構築すると考えるなら、表面的では済まなくなる。どこかで真剣に取り組む姿勢が無いと、こんなに長くはできないのではなかろうかと思います。

だから、どうしても面白さという要素が必要だと思う次第です。そしてそれには、どうしても集中とリラックスが必要となり、また、それには、真剣に取り組む姿勢が必要となるのではないかと思います。

西洋人のキリスト教的考え方からすれば、仕事は罰という捉え方があり、成功して、早期引退でもできればハッピーでありますが、日本人は働く事にそんな罰的意味合いは無く、どんな仕事でも、それなりの面白さをどこかに見つけたりする事もありますから、日本人は仕事からも面白さを味わったりもします。だから、真剣に取り組むし、一生懸命にもなれる。

昔、エコノミックアニマルとか言われた事がありますが、それはとんでもない勘違いです。姿勢が違うだけかと思います。しかし、その日本人は、遊びに対して真剣に取り組む事にちょっと違和感があるかもしれません。それは遊びに対する偏見があるからかと思います。遊びに対して、真剣に取り組んでいる人を見て、その人を努力の人とは言いません。これはまた欧米人との違いでもあるかと思います。

何が言いたいかと言いますと、真剣に取り組めば、仕事でも遊びでも、何らかの面白さを味わう事ができるという事です。ですから、長期間に渡るヨットという遊びに対しても、真剣に取り組む必要はある。そうでないと面白さは味わえないだろうと思います。もちろん、仕事の合間の息抜きとして捉えても何ら差支えは無い。ただ姿勢の違いであります。

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