第四十三話 味わい

学べば疑問が生まれ、また学ぶ。そうしている過程には解釈が生まれます。その解釈というのは、味わいがくっついてきます。この味わいは無限にある感情の変化だろうと思います。

頭で解って、体で解って、感覚で解る。それがどうした? とも言えなくも無いのですが、でも、生きているという事は同じようなもので、例えば、お金稼いで、大金持ちになって、その味わいを得る。その味わいを得るにはお金持ちになる事が必要です。いろんな味わいが世界には無限にあって、それを味わうには、自分がそれに成る事が必要になります。ですから、ヨットを味わうには、ヨットに習熟した方が、より味わえるという事になります。

いくら味わっても、それがどうした、たかがヨットと言えなくも無いのですが、実は、味わいこそが全てではないかと思います。何かをするのは、それを通しての味わいを得る為ではないかと思います。目的を設定して、頑張って、達成すればこそ、その味わいが味わえる。失敗したら、頑張っても失敗したという味わいになります。何かをすれば、何らかの味わいがあります。何もしなければ、何もしないという味わいがあります。

つまり、生きているという事は、味わうという事、ですから、どんな味わいを得たいかとなり、それにはどうしたら良いかと考える。それぞれが、求める味わいがあって、そのひとつとしてヨットがあります。それで、ヨットという選択をしたなら、どういう味わいを得ようかと考えます。

それが、クルージングであり、ファミリークルージングであり、宴会であり、云々。そう思ってきました。みんながそう言うから。自分でもそう思ったし、最も想像する事も容易でもありました。

しかし、本当はそうでも無かった。確かに楽しさも経験した。みんなで乗る時は楽しかった。でも、そこにあるのは楽しいという味わいです。それで、もっといろんな味わいをしてみるという方法もあります。スリル、感動、達成感、緊張、知る喜び、無心、いろいろ味わうと、それは面白さにもなるかもしれません。ヨット学とは、いろんな味わいを得る為であります。

ひとつひとつを取り上げると、嫌な事もあります。しかし、トータルで見ますと、全体としては面白かったというのは良くある事です。では、そうしようと思っても、動機がなかなか見つからない。或は、強くない。それでは、ヨット学としましょうという事です。

ヨット学をマスターしようとする事で、ありとあらゆる味わいを得る事ができる。単なる、遊びじゃ無いんです。学びですと思い込む事にしましょう。学びになりますと、積み重ねがおきて、それは未来に伝授されていく。りっぱな学問であり、職人芸であり、文化であります。

ですから、もし、ヨットスクールに行こうと考えるなら、操船の仕方を習いに行くのでは無く、ヨット学を修めに行くんです。そのぐらいの気持ち。或は、独学だってできます。

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