第四十一話 舵誌"世界に挑む”

舵誌12月号に”世界に挑む”と題して、メルジェス32世界選手権の記事が掲載され、日本から6チームが参戦したと書かれていました。その中身を読みますと、後の方に世界の壁という言葉が出てきます。

日本における様々な事情で、まだまだ世界の壁は厚いのかもしれません。しかし、日本人というのは、必ずやってくれる国民です。彼ら6チームが頑張って、今後も頑張って、そうやりながら、いつかはトップクラスに入り、優勝を争うようになると思います。日本人というのは、我々が思う以上に、優秀な国民なんだろうと思います。

オリンピックを見ても、ヨットに関しては残念でしたが、他の競技では、昔は全く歯が立たなかった種目でも、徐々に上位に上がり、やがては金メダルという事も少なくありません。どういうわけか、そうなると、ルールが変更されたりという事も無きにしもあらずですが。

日本人というのは何にしても頑張る国民なんだと思います。方向と目的さえしっかり明確にしていけば、今はどうであれ、いつかはトップに躍り出る。そういう能力を持つ国民であると、誇りに思って良いのではないでしょうか?

本当は、どこの国民にしても、頑張ればやれるのかもしれません。環境が整って、頑張り続ければ、やれるのかもしれませんが、しかし、頑張らないのも国民性であります。日本人は頑張っちゃうんですね。それを勤勉とか言います。これは日本人の資質、お金では買えない財産であります。

ところが、この足を引っ張る人達も中には居ます。何を考えてんだと言いたくもなります。それは置いといて、日本人は目標と道筋さえつけば、どうにでも頑張っちゃう国民ですから、逆に、目標が失われると弱いのかもしれません。何をどうして良いか困ってしまうのかもしれません。のんびりと、ゆったりと過ごす事に慣れていないのかもしれません。

仕事を引退したからと言って、毎日が日曜日、のんびり過ごすなんて苦手なのではないでしょうか?だから、また仕事を始める人は多いし、何かするにしても、そこで頑張っていく処に生き甲斐を感じたりします。つまり、生き甲斐とは頑張る事なのかもしれません。そこに何らかの充実感を感じてしまうのかもしれません。

ですから、毎日、ヨットでのんびり過ごす、欧米人がヨットに泊まるような、そういう過ごし方ができない。デイセーリングにしても、意識が頑張る要素を持たなければ、そこに生き甲斐を感じる程では無い。よって、我々日本人は、程度の差こそあれ、何かに夢中になって、頑張る事を生き甲斐にしてしか充実感を得られないのではなかろうか?

ところが、遊びに対して、あまり頑張れないかもしれません。まてよ、遊びという言い方よりも、快楽と言った方が良いかもしれません。快楽は味わいたいのですが、そこに頑張る事はできません。

という事で考えました。ヨット遊びを、”ヨット学” と称する事にしましょう。学ですから、毎回のんびりなんかしておれません。学ぶ必要があります。ヨット自体を学び、セーリングを学ぶ。何も速さのみでは無く、セーリングを知って、スピードから、あらゆる動き、変化から味わいを学ぶ。そういうのは如何でしょうか? 目標はヨット学をマスターする事にあります。 点数は自分でつけます。

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