第二十話 専門書

何かの専門書を読みますと、難しくて解りません。専門用語もたくさん出てきます。だから、誰か専門家の意見を聞きますと、なる程ね〜、とかすぐに納得してしまいます。そして、別の専門家の別の意見を聞いても、やっぱり、なる程ね〜と納得してしまいます。納得せざるを得ないと言った方が良いと思います。それぞれに、ちゃんとした根拠もありますから。それに反論するだけの知識は、こっちにはありませんし。

幸いながら、もし、それでも興味が尽きないならば、もっと本を読んで勉強し続けるでしょう。投げ出せば、それで終わりですが、もし、何とかもっと知りたいと思うなら、解らないながら、いろんな本を読みます。我慢して熟読し、理解しようとします。すると、どこからか、少しづつ解ってくる。すると、やっと面白さが出てきます。それで、さらに本を読んで、そのうち、それはちょっと変じゃないかとか、私はこう解釈するとか、そういう自分が出てきます。ここまでにどれだけの時間を要するかは解りませんが、でも、真剣に続けるならば、他人の視点が理解できるようになって、自分の視点もできてくる。

何かを習得するというのは、そういうプロセスを経ていくのではないかと思います。本屋に行けば、たくさんの本があって、情報は多岐に渡ります。それを全部習得するなんて不可能ですし、ある専門に限っても、ちょっと数冊読んだだけでは、本当の処は解らない。解った気にはなれますが。

別に専門家になりたいわけではありませんが、できるだけ知って、いろんな意見に対し、自分なりの意見も持てるように迄は行きたい。それが面白さにほかならないと思うからです。それには、それ相当な学びが必要になります。でも、やればやっただけの事はある。それが何らかの役にたつかどうかでは無く、自分の興味の深さにおいて、知れば、それだけ満足感も大きくなると思います。

解らない時は、何が解らないかも解らない。それが徐々に、何が解らないかが解るようになる。さらに、解らない疑問をひとつづつといていく。それが面白さではないでしょうか?

ですから、これぞ、と思う事があったら、やっぱり真剣に突っ込んでいく事が必要なのではないでしょうか?それが遊びであっても同じだと思います。遊びだから、適当で良い。それでも、誰かに迷惑をかける事もありませんし。でも、何でも自分のモノにするには、真剣な態度が必要になると思います。それなしでは、遊びでさえもモノにはできませんし、本当に心から楽しむ事はできないかもしれません。

ヨットに対して、ある程度の知識と経験を積んでいきますと、こうではないか?と思う事があります。
本当にそうなのか?と思う事もあります。こちらの意見が間違っていたとしても、そういう考えが出てくる処に面白さがあると思います。楽しむというのは、みんなでワイワイやるのも楽しさのひとつですが、それとは別に、こうではないか、ああではないかと、自分の中から湧き上がる疑問とか、そういう楽しみ方もあると思います。それが探求という事かと思います。ですから、この両方を楽しんだ方が良いかと思う次第です。

最初はちょっと面倒くさいとか感じますし、難しそうだとも感じます。しかし、それをちょっと頑張って、ひとつづつつぶしていきますと、当然ながら自分のレベルが上がります。この最初のステップこそが、後々の財産になりますね。ですから、ちょっとだけ頑張って見てください。きっと、その甲斐があったと感じられると思います。

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