第四十八話 無駄?

男っていう生き物はいくつになっても子供ですから、ただ、働くだけでは生きれないので、何かしたくなるんですね。そのしたくなる事というのは、多くは無駄な事ばかり、女性から見たら、特にそう見えるでしょう。しかし、男はバカですから、この無駄無しには生きられません。飯食ってるだけでは生きられない。どうしてもその無駄に魅力を感じてしまいます。

それが世の中の芸術を生み出し、この世の魅力を作り出し、潤いを与えます。ヨットも無駄そのもの、デイセーラーなんて無駄そのもの、セーリングなんて、しなくったって、何も損はしない。それを拡大していけば、絵画はむだ、陶芸も無駄、日本の伝統的な歌舞伎や生花、書道、それに音楽や映画だってそう。いろいろ無駄ばかりであります。

しかし、それらがもし無かったとしたら、この世は無機質となって、機械的で、そういうのは脆弱になり、簡単な事で崩れてしまうかもしれません。この世の無駄は、我々社会の緩衝材にもなっています。そういう意味では、無駄は社会の主役にはなれないにしても、立派な脇役として必要不可欠なのであります。資本主義社会ですから経済が主役? 否、人間が主役ですから、人間が求めるものは、大事なのであります。

社会の無駄は、各個人のそれぞれの選択によって生まれます。それが総合して社会の無駄になる。最近では、無駄を省けと叫ばれますが、それも一理あるのでしょうが、極端に無駄を無くすと、返って自分の首を締めかねません。水清ければ魚棲まずと言いますから。

無駄、おおいに結構ではないですか。自分でできる個人の無駄なら、誰からも文句を言われる筋合いは無い。という事で、ヨットは無駄、セーリングは無駄、全部無駄です。そのヨットを何かの役に立たせようと考える事は、無駄の主旨に反します。ですから、無駄は無駄のままで、楽しむ事を考えた方が良い。

無駄な事をする場合、どういう役に立たせるかでは無く、楽しいのか、面白いのか、魅力的なのか、そういう事であり、これらは、頭で考える事では無く、感じる事であります。ですから、感じる事を優先して、判断した方が良いのではなかろうか?と思います。

カッコ良い、美しい、気持ち良い、スリルを感じる、恐怖を感じる、鳥肌がたつ、気分が高揚する、
爽やか、気分が落ち着く、面白い、楽しい、・・・・・。こんな気持ちが、社会の無駄とされたら、ぞっとしますね。

だから、ヨットの質、性能、デザイン、全てこの無駄の為にあります。誰かが費用対効果なんて言いましたが、元々無駄なのに、費用対効果なんて最初からありません。そんな事を考えては、無駄を無駄として楽しむ事ができません。要は、どれだけ魅力的なのかどうかです。無駄の価値はそこにしか無いと思う次第です。確かに、高価、安価というのはあります。しかし、予算的に無理が無いのなら、後は、それが魅力的であり、自分の感性をどれだけ刺激するのかであります。

無駄なものであるのに、それを一般的な価値観で判断するから、心から遊ぶ事ができないで、通り一遍の遊びしかできないのではなかろうかと思います。これからは、そのヨットのどこに魅力があるのか、そこを見たいと思います。それが自分の感性に呼応するのか、しないのか?

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