第十五話 快走

快走する事がセーリングの最高の在り方です。でも、その快走は、何も7ノットや8ノットというスピードにあるわけでは無いと思います。風には微風もあり、強風もあり、時には8ノットどころかもっと速く走る事もあります。

セーリングを遊ぶ時、快走を目指しますが、それは気持ちが良いからだと思います。誰もが、快走すると、気持ちが良くなります。それが快という走りだから当たり前です。でも、それはある特定のスピードに限った事ではないと思います。

例えば、強風は恐怖を伴うかもしれません。でも、その強風において、腕が上がって、恐怖無しに、緊張感はあっても、自分のコントロール下でセーリングができたら、それは快走ではないでしょうか?

もし、微風で、退屈感がいっぱいになるかもしれませんが、もし、そこで、ジェネカーでも上げて、走る事ができたら、例えそれが遅いスピードであっても、快走を感じるのではないでしょうか?

結局、ありとあらゆる状況の中で、より良いセーリングをする事を目指して、それができたら快走だと感じて、面白さを感じる事ができるのではないでしょうか?

という事は、快走はどこにでもある。いつでもある。ただ、それが今はできない、現実に味わえないだけで、それなら、何とかしましょうという具合に考えられるなら、快走をもっとたくさん味わう事ができると言う事になります。

結局、セーリングを遊ぶとは、そういう事ではないかな〜と思います。ですから、状況の変化に対して、どうやって対応できるか? どのように対応しようかと思う処からゲームが始まっています。そして、ああでもない、こうでもないと、いろいろ考えて、行動し、また考えて、行動します。それが全部セーリングというゲームであり、その時々に、ベターを感じて、それが快走を生み出すのではないでしょうか? そして、もちろん、その快走に面白さを感じるし、その良い循環は、次の考えて、行動するにも、面白さを見出すようになると思います。それができれば、いつでも自由自在でありますね。

ですから、あらゆる面で快走を目指しましょう。 2ノット、3ノットの快走もあれば、8ノット、9ノットもっとという快走もあります。要はスピードでは無くて、いかにセーリングゲームを創る事ができるか、それが快走ではないかと思います。

但し、理屈はそうでも、あまりにも大変な事はしたくないわけです。できれば、多少は頑張っても、そんなに必死になってやる事でもありません。ですから、できるだけ楽にしながらも、快走を目指します。もし、そこにクルーが必要なら、快走を目指すも、クルー集めからしなくてはなりません。それも楽じゃない。それで、快走への最も近道はデイセーラーだと思っています。

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