第七十話 セーリング再考

セーリングという行為を、もう一度見直してみませんか? レースの為のセーリングでは無く、かと言って、ピクニックのセーリングでも無く、もちろんクルージングのセーリングでもありません。いわゆる自分がスポーツするという感じのセーリングです。

   セールを上げて、エンジンを切った途端に
   訪れる静けさ、波の音、風の当たる感じ、
   それらを感じながら、舵を取り、セール操
   作をします。最初はジブシートとメインシー
   トしか操作しなかったのが、徐々に解って
   きて、トラベラーの理屈と効果が解って、
   それを操作するようになります。そして、そ
   のヨットの動きの違いも解ってきます。






これをどんどん進めて行きます。すると、ヨット
におけるセーリングというものが総合的に解
ってきます。解っているからこそ操作するの
にも面白さを感じるようになると思います。
こういう事をするのは、レース派の人だという
決めつけがありました。逆に言いますと、レー
スするわけじゃないから、そこまでする必要も
無いと考えて来たかもしれません。

   
   そうでは無くて、レースの為では無くて、面
   白いからやるんです。解ってくると面白くな
   ります。やれば、また解るし、今迄気がつ
   かなかった事にも気付くようになります。
   そういうセーリングです。自分の能力を上
   げて、自分の能力を楽しむセーリングです。

   そういうセーリングを純粋に楽しむという
   行為は、これまであったようで、実はあま
   り無かったのではないでしょうか? だか
   らこそ、今、セーリングです。

   

ヒールさせて、バランスを取りながら、真っ直ぐ走る時でも、セーリングの感覚は、そこに意識を置いているだけでも違うものです。そこに滑らかさを感じたら、もっと違うでしょう。そこに高いスタビリティーを感じたら、セーリングはもっと違うでしょう。そこに加速感を感じたら、エキサイティングでもあります。

   そして、腕を上げていきながら、もっとセー
   リングの大胆さから妙に至るまでを味わ
   ってみませんか?その気になるなら、誰
   でも味わえるセーリングです。でも、今ま
   ではそういう方は少なかった。例え、レー
   スされる方でも、セーリングはレースの為
   であって、セーリングがセーリングの為で
   は無かった。

   それをするのは、レースをしないセーリン
   グの為のセーリングです。そういう機会を
   設けませんか?もちろん、他の機会では

レースを楽しんでも良いし、クルージングを楽しんでも良いのですが、核になる行為として、セーリングの為のセーリングを楽しんでてみませんか、というお誘いです。

デイセーラーの出現は、こういう新しい行為としてのセーリングの誘いです。同時に、ハイパフォーマンスクルーザーも、レース一辺倒での使い方では無くなりました。この事は、欧米のヨット文化が、新しいスタイルを作ってきたと感じています。

動かないヨットほど寂しいものはありません。かといって、レースかクルージングかという時代でもありません。これからのヨットスタイルに、セーリングの為のセーリングを楽しむ、というスポーツ的セーリングが新しいジャンルとして注目を浴びるようになると思います。

これが他とは違うのは、例えば、速さは面白さの大きな要因ですが、でも、絶対ではありません。そのヨットのセーリングの味わいという物も発見するようになると思います。波に対する当たり具合、復元性の感触、バランスの良さ、セーリングから拾えるいろんな感じを、自分の操作で楽しむ。まさに、セーリングの為のセーリングです。

 

そして最後に残るのは何でしょうか?長年ヨットに携わってきたその最後に残るもの。それはヨットに対する深い知識と、セーリングにおける能力、そこに至る迄の長いプロセスです。ヨットを本当に自分の物にしたという自由自在感、レースやクルージングに劣るものでは無いと思いますが。

今日の一曲 B.B. King & Eric Clapton The Thrill Is Gone

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