第六十七話 前提が違う

レースかクルージングの前提があって、レースしないならクルージングという前提があります。そして、クルージングなら、でかいキャビンが良いという前提があって、クルージングするなら、遠くへ行ける程に価値が高いという前提があります。果たして、そうなんでしょうか?

この前も、デイセーラーのオーナーに対して、ロングクルージングの時はどうするんですか、という質問をされる。そんな事は大きなお世話。ロングクルージングこそが、レースをしないヨットの常識であるという前提、そういう先入観があります。そして、意外と、みんなそれを不思議とは思わない。雑誌も、それに合わせたような記事ばかり。レースかクルージングです。スポーツカーのオーナーにそんな質問はしませんね。それは前提が違うからです。

クルージング前提があっても、現実には、遠くへは行けない。忙しい。だから、動かないヨットが多い。ロングが良いとなると、ショートには、なんだか価値が薄くなって、行く気もしなくなるのでしょうか?前提に間違いは無いのでしょうか?

本来、ヨットはレースかクルージングの為にあるわけでは無く、その前に、ヨットは海で遊ぶものであります。海で、ヨットを使って、楽しさ、面白さを味わうものです。それには、レースかクルージングでなければならないという事は無いのではないでしょうか?まして、ロングでなければならない理由も無い。

欧米では、もちろん、レースもやるし、クルージングもやります。でも、多くの方々はマリーナに係留されたヨットを別荘のように使い、時々出して、入江でアンカー打って、海水浴したり、ピクニックしたり、多くの人達がロングクルージングに行っているわけでは無い。レースしているわけでは無い。

日本では、この別荘的使い方が殆ど無いので、放置されてしまう事が多い。だからと言って、海水浴やピクニックだけでは満足できるハズもない。楽しさは時折味わっても、しょっちゅう使おうとする面白さが無い。

そこで出てきたのが、セーリングです。レースしないでも結構、クルージングしないでも結構、セーリングをちょっとまじめにやってみませんか、スポーツしませんかという事です。セーリングは楽しさでは無く、面白さの追求です。しかも、日常的に出来る事であり、シングルならば、誰かを必要とするわけではありませんし、遠くに行かなければならない事もありません。レースのように、主催時期に合わせる事もありません。

いつでも、時間が取れる時に、ひとりでも、そのセーリングというものを味わう事ができます。という事で、前提が三つになりました。本当は、ヨット遊びという前提がひとつあれば良いのかもしれません。

もはやクルージングこそがヨットの王道であるとは言えません。それぞれに、それぞれの遊び方があります。好みがあります。

今日の一曲 ブルーミッチェル There Will Be Another You

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