第十話 仕事と遊び

一般的な価値観としては、仕事は遊びよりも優先すべきものです。仕事は稼ぎ、遊びは消費。消費する為には稼がないといけないし、それ以外においても、仕事の方が重要とされます。仕事に頑張っている人は賞賛されるし、遊びに頑張っている人は遊び人と言われる。この言葉は賞賛ではありません。という事で、仕事は遊びよりも価値が高いとされます。

どっちが価値として高いか? そんな事をどうこう言うつもりはありません。この二つを比較しますと、それぞれの価値観があって、各人においてもニュアンスは違うし、外国に行きますとさらに違います。価値観の違いは、客観的な答えがあるわけでは無いと思います。

でも、仕事だろうが、遊びだろうが、そのものを考え、成す時、やっぱり同様に習得する事は難しい。遊びだから簡単というわけではありません。良い仕事をするなら、頑張らないといけないし、良い遊びをするなら、やっぱり頑張らないといけない。遊びと仕事という名前をつけたけれど、そのレッテルを外せば、ある行為である事には違いない。ただ、仕事は途中で投げ出せないが、遊びはそれほど義務的でも、強制的でも無い。ただそこの違いかな?

ある行為において、そこに精通するならば、それなりの努力や工夫は必要だし、そのプロセスにおいて、いろんな事が起こるので、それらを乗り越えていかなければならない。結局は、どこまで求めるか次第で、仕事も遊びも同じという事になります。

仕事は半強制と言いますか、嫌でもやらなければなりませんが、遊びは嫌な時は避ける事ができる。ただ、その違い。仕事でも、面白さを感じる事がありますし、遊びだからと言って、いつも楽しい事ばかりではありません。その遊びも、面白さを味わう為には、それなりの努力が要求される。
結局、本質的には仕事も遊びも、それなりに習得するには同じなのかもしれません。

理想的には、仕事だろうが、遊びだろうが、そこに面白さを感じられるかどうか? 仕事ならそれをやりがいと言うかもしれません。遊びなら、面白さというかもしれません。どちらにしても、言葉は違えど、同じなのではないか?仕事という名前と遊びという名前をはずして、ある行為と考えれば、どこまでやるかにかかっている。やれば、やる程に、いろんな事があるが、その分、面白さも比例しているのではないでしょうか?

仕事は誰でも一生懸命やります。困難があってもやります。より高みを狙う。でも、遊びはそこまでは無い。とするなら、どこまで求めるかという気持ちと行為が、意識的である事により、効果的な遊びをする事ができるのではないか?

遊びは面白いからやるわけで、面白くない遊びはしたくない。仕事は面白く無くてもやらなければならない時がある。でも、面白さを得るには、それ相応の困難もある。仕事でも、遊びでも、それを越えて、習得した自分の能力にこそ、面白さを感じるのかもしれませんね。

能力が高まれば、ある一定の時だけが面白いとか、環境に頼る事ばかりでは無く、より広い範囲での環境において、そこに能力を発揮できる自分のレベルがあって、それに対して、面白さというのがわいてくるのかもしれません。

良い風が吹けば、誰もが面白さを感じる。でも、そういう条件が整う事は少ない。という事は、多くの場合で、面白さを感じないという事になります。これで、10年は続けられないのではないか?
でも、レベルアップする事で、よりいろんな場面で面白さを感じられるようになる。仕事なら、誰もがそれをしようとするわけで、遊びでは各人各様です。

遊びに義務は無い。ですから、自分次第という事になります。仕事は、誰もが明確に考えます。しかし、遊びだって。ものにしようと思うと同じ事なんでしょうね。ヨットを出せば、いつだって面白い。そういう事は無いわけで、逆に、いつだって楽しめるというのなら、達人のレベルじゃないかと思います。この達人とは、技術のみでは無く、心の達人でもある。遊び人も達人のレベルなら、たいしたもんですね。

それで結局何を言いたいかと申しますと、遊びであっても、面白さのレベルを上げようとするなら、面白さを維持しようとするなら、楽ばかりは無いという事ですね。だから、そういうつもりで遊ぶ事が必要になるかと思います。楽しいですよと言いたい処ですが、実際はいろいろあるのが本当です。
だからこそ面白いんです。乗り越えるハードルの無い行為に、誰も充実感は感じない。10年乗る、20年乗るという事はそういう事だろうと思います。

今日の一曲 リーモーガン アイ リメンバー クリフォード

次へ        目次