第六十六話 偶然

釣りをすれば偶然に釣れる事があります。セーリングすれば偶然に快走を味わう事もある。どんな遊びでも、偶然に何かの恩恵にあずかる事があります。

若かりし頃、ビリヤードで遊んでまして、偶然にポンポン入る事があります。先日は、若い夫婦にダーツバーに連れていってもらって初めてダーツを楽しみました。偶然に良い所に当たる事があります。その偶然があるからこそ、最初から楽しむ事もできます。

でも、これから長い事やろうと思う時、偶然では満足しなくなる。だからもっと突っ込んでいこうとすると、難しさが見えてくる。何をしても、遊びでも、本格的にやるなら、次の段階が見えてくる。
楽しさだけで良いなら、あまり頻繁にやってはいけません。面白さを得ようとするなら、頻度は上がる。頻度が上がると、偶然以上の意図が働きだします。

セーリングにおいて、偶然から一歩進んで、意図してセーリングをする。誰もが、そういうステップを踏んでいくかと思います。何となくシートを引いたり、出したりでは無く、その時の風の具合に合わせたセール形状はどう作ったら良いのか? そういう事を考え、学び、観察する。

兎に角、やってみる事でしょうね。何度も、そういう事を考えながら、操作をする。そうする事で、少しづつ何かが解る。試行錯誤を繰り返し、いつか、気が付いたら、腕が上がっている。観察力が上がり、少ない労力で最大の効果を得る。偶然を期待する気持ちは無くなります。

意図して、こうして、ああして、それで効果を得る。これ程、面白さを感じる事は無いと思います。釣りにしても、このポイントで、こういう仕掛けで、こういう魚を釣ると意図し、その通りになると面白い。意図したとおりにならない事が多い中で、腕を上げて、意図した事を物に出来るというのは、気持ちが良いものです。偶然で喜んでいるうちは、まだまだかもしれません。それに、その偶然は多くは無いですし。

腕を上げるというのは、偶然に期待せずに、高い観察力を持って、意図して、どれだけ意図の通りに効果を得れるかになると思います。遊びだからといって、本気でやるなら楽しては味わえない面白さがそこにあります。セーリングゲームです。

ヨットはつまらないのか、楽しいのか、面白いのか? 全部自分次第ではないでしょうか?
だから、レーサーを買ったら、レースを楽しむ。クルージング艇を買ったら、クルージングを楽しむ。デイセーラーを買ったら、セーリングを楽しむ。それらが主になり、それ以外は従になります。
だから、主をいかに面白く演出できるかが重要で、それさえあれば、従は、適当でも、主が充実していれば楽しめるのではないかと思います。

偶然を必然に変える。それが面白さではないかと思います。長期に楽しむ為には必要な事ではないでしょうか?走るだけなら誰でもできる。でも、セーリングを楽しむには、長期に渡って面白さを味わいたいなら、どれだけ必然性を高められるかにかかっているような気がします。

ただ何となく走っているより、この風速で、この風向で、セールはちょいとツウィストさせて、角度はこうで、走りながら、ちょいと角度変えたり、ツウィストを変えてみたり、それで、ヨットの動きがどう反応するかを楽しみ、試行錯誤を繰り返しながら、自分のセーリングを創る。偶然という要素は少しづつ減少していきます。何故、そうなるのかも少しづつ理解していける。それがセーリングの面白さではないでしょうか?

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