第五十五話 ヨットはフィーリング

ヨットは遊びです。遊びである限り、何らかの成果を期待するような仕事で無い限り、最も重要な要素は、そのヨットから得られるフィーリングではないかと思います。

あらゆるデータから、いろんな性能を数値で引き出してきたとしても、実際に速いスピードで走ったとしても、我々が楽しむのは数値では無く、その時のフィーリングだと思います。ただスピードさえ出れば良いというのでは無く、その時の様々なフィーリングが面白さとして得られる事になります。

その為に、フィーリングの為に、スピードを出そうとしますし、スタビリティーを高めようとしたり、硬い船体を造ったり、いろんな工夫を凝らす事になります。全てはフィーリングの為に行っているのではないでしょうか。

そのヨットが5ノットから、加速して7ノットまでスピードが上がったとしても、それで何か成果があるわけではありません。レースをしているのなら、そこに成果を得る事ができますが、セーリングを楽しむという点においては、その2ノットの差がもたらすフィーリングの違いの方が重要かと思います。加速する瞬間からフィーリングは変わります。加速の仕方によっても違うし、加速後の安定感、滑らかさ、バランスにおいても、フィーリングが違います。

要は、セーリングを楽しむというのは、数値的結果を求めながらも、本当はそこから得られるフィーリングの違いによって、快であったり、不安や恐怖などのフィーリングを得ています。そこをどう評価するか?最も重要なのが、このフィーリングではないかと思います。

大きなヨット、小さなヨット、これで既にフィーリングが違います。シングルかクルーが居るか、これもフィーリングが違う。風や波の変化でもフィーリングが違う。船体の硬さ、動きによっても、操作の仕方によっても、ありとあらゆる所にフィーリングの違いを生み出します。

究極的には、これらのフィーリングを遊んでいる事になります。便利な機械をたくさん搭載して、何もしないで良い便利さ、それはそういう便利というフィーリングを得ています。同じ速いスピードでも、不安さを感じたり、或いは、安定感を感じたり、ヨットの違いは、このフィーリングの違いをもたらす。ヨットの違いとは、ハルの形状、重量、硬さ、スタビリティー、バランス、操作性、いろんな要素が複雑に総合してフィーリングという結果をもたらします。

という事は、ありとあらゆる場面において、自分が感じているフィーリングを認識しておいた方が良いのではないかと思います。快走して気持ちよかったという感想も、細かく見れば、いろいろあるわけです。加速感、滑らかさ、操作のやり易さ、軽さ、重さ、波との接触具合、舵を持つ手の感じ、スピード感、実際は、いろんな感覚を得ているわけですから、それらを感じて、意識してみる事で、もっと具体的にどんな快走感だったのか、いろんな快走感もあります。

7ノット、8ノットのスピードが出たというスピード計の数値も重要かもしれませんが、その時、どんなフィーリングだったのか?フィーリングは、その時の状態を全て含んでいます。気が付くか付かないかの違いで、全てを総合してフィーリングとして感じます。不安の中のスピード、安心感の中でのスピード、いろいろあります。

ただ、自分のフィーリングは、常に一定では無く、常に変わります。8ノット出たら、いつも同じフィーリングを得ると決まっているわけでもありません。慣れもあるし、その時の状態は、同じスピードでも、状況は異なります。計器類を眺める以上に、自分のフィーリングを意識するというのは、ヨット遊びを面白くする事になるのではないかと思います。何となく感じていた事が、明確になっていくかもしれません。

すると、どんどん感覚は鋭敏になっていく。すると、もっと細かい差異のフィーリングにまで気が付く。するともっといろんなフィーリングが感知されていく。するともっと面白くなる。

全てはフィーリングの為に。それが純粋な遊びという事、楽しむという事ではないかと思います。ある一定条件のみが楽しさでは無く、いろんなフィーリングを得る事が楽しさ、面白さとなって、広がりを見せる。物質的なものには限界がありますが、フィーリングにおいては、無限かもしれません。

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