第十四話 ある日、突然に

長い事やって、できなくて、うまくならなくて、ちくしょうとか思って、そういう事があります。でも、それでも続けますと、ある日突然に進歩してできるようになる事がある。進歩というのは、なだらかな坂というより、階段状ではないかという気がします。それを味わうと、俄然やる気がおきてくる。そんなものではないでしょうか?ですから、続ける事に意味がある。

その持続ができるかどうか? 遊びだって、面白い事ばかりじゃない。だから、遊びであっても、レジャー的遊びと趣味とするような遊びがあります。楽しいばかりの遊びは、その日が楽しかったで終わりますが、趣味的遊びは困難もつきまとい、その代わり、大きな進歩があって、面白さが違う。ですから異質であります。

ヨットは趣味的遊び。レジャーと見ると、楽しい時もありますが、そう多くは無い。趣味的遊びですから、困難もある。ですから、誰でもできる遊びとは違います。遊園地に行くとか、温泉に行くとか、そういう類のものではありません。ですから、楽しさだけで、あこがれて始めると後悔する事になりますね。航海なら良いんですが。おっと、ダジャレでした。

ヨットはある種の挑戦であります。冒険であります。レジャーを超えています。ですからしんどい事もある。そういう、ある種の覚悟が必要かもしれません。まあ、オーバーですが。だからこそ、得るものも大きい。継続するのにも簡単ばかりではありませんし。

継続するのが難しいなら、そこに意味がある。何でも、簡単な事にはたいした意味を持ちませんが、難しい事には意味がある。難しいから誰もができるわけじゃない。易きに流れるのが我々ですが、そこを何とかした人だけにもたらされる恩恵がありますね。

セーリングはスポーツではありますが、他のスポーツとは異なります。野球やテニスのように、必ずしも相手が必要でもありません。単独でやる場合は、どちらかというと絵画や陶芸に似ているかもしれません。良い作品を作りたいという自己研鑽のような。

だからこそ、勝つか負けるかの勝負、レース以外では、自己を見る事になります。しかも、作品のような形は残らない。よって、場合によっては継続は難しいのかもしれません。ですから、確固たる自立の精神が必要になるかもしれません。しかし、継続する事によって、ある日、突然あらわれる
進化は、おおいなる高揚感と、しかも、一旦得たものは無くす事が無い。永遠の財産みたいなものでしょう。

またまたオーバーな表現をしてしまいましたが、たかがセーリングにそこまで考える必要はないのですが、言える事は、ただ楽しいとか楽しくないとか、面白いか面白く無いとか、そういう表面的な事だけでは、この継続は難しい事かもしれません。でも、この継続無くして、ある日、突然もありません。

まあ、気楽に出して、ただ味わってくる。そういう事を日常の生活に取り入れて、それが普通になるなら、特別な事からでは無く、普通の生活から独特の味わいを取り入れる事ができる。それが潤いのようなもの? ハードルは低く、でも得る物は高くでありますね。

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