第十一話 目指すもの

これまで書いた事はみんな欲求を満たそうという事です。あれもしたい、これもしたい、そういう欲望をいかに満たすかという話。どうせやるなら、ここまでしよう、もっとしようという話です。欲望をどんどんつのらせていくような話です。

これらは、たっぷりと時間があって、その気になってどんどん乗り込むなら、誰でもできない事ではありません。簡単ではありませんが。でも、不可能じゃない。でも、いつかは、そんなにどんどん求めてどうすんの?とかいう事があるかもしれません。

求めるという事は、今は無いという事ですから、求めても、求めても、思い通りいかない事も多い。そういうフラストレーションを抱えながら、それでも求める姿勢、探究心はりっぱな物ですが、でも、
もう良いじゃないか、という時が来るかもしれません。

そうなった時、人間、何でも受け入れる姿勢ができるのかもしれません。ある特定の状況を想像するでも無く、今日のその日のセーリングを、そのまま素直に味わう事ができるかもしれません。これは、技術的な自由自在では無く、心の自由自在ではないでしょうか?

微風だろうが。、強風だろうが、その日のセーリングを楽しめるようになったら、それこそ何も求めない。素直に遊ぶ事ができる。プロになろうという話ではないわけですから。

時化ていたら、やめて読書でもしましょう。と簡単に切り替えもできる。臨機応変であります。どんなでも良い。なげやりでは無く、どんなでも楽しめるというものです。

メインテナンスして楽しい。掃除して楽しい。無風でも、微風でも、何でも楽しい。強風でも楽しめる。スプレー浴びて楽しめる。嫌な気持ちがどこにもない。そんな事ができるのか? 解りません。でも、少しでもそういう心境になれるなら、人間としての品というものが出てくるような気がします。

探究心は重要です。それをとことん突き詰める方はりっぱです。求めないという心境は、その先にしか見えてこないかもしれませんね。素直で、しなやかで、何にも動じない。終えるまでに、そこまで行ければ最高じゃないでしょうか?

そういえば、ある方、もう70代の半ばで引退されましたが、ほとんど毎日マリーナに来られて、メインテナンスしたり、読書したり、セーリングしたり、レースにも参加したり、時には長期でどこかにクルージングに行かれたり。雨が降っても、時化てても、ほとんど毎日マリーナに来られていた方がおられます。どこかに行って、帰って来ようとして、風が良かったので、そのままホームポートを過ぎて反対側に行ってしまったり、そういう事もありました。良くコーヒーをご馳走になりましたが、気負いも無く、それで特別に高い技術をもっておられたわけでもありませんでした。でも、言える事は、楽しんでおられました。いろんな工夫をしてみたり、口癖は、毎日違うし、いつまで経っても初心者みたいなもの、それに遊びだもん、と常識に捉われないやり方もされてました。実に、素直にヨットを楽しんであったように感じます。心は自由自在だったんじゃないかと思います。

この方、年齢とともに、どんどんヨットのサイズを小さくされていった。通常は買い替えの度に大きくなるのが普通でしたが、この方はその逆。みんな何で? と最初は不思議がっていたものです。
でも、この方、あっさりとサイズダウン。年とってきて、もうそう遠くへは行かないし、それなら、これぐらいの方が楽で良い。そして、最後は何と21フィートまでサイズダウン。それでも、結構あっちこっちクルージングにも行かれました。行けば、数週間はかえってこない。

常識にも何にもとらわれずに、自分に合うヨット、自分に合うやり方、そういうものが解っておられた。自由に発想できたという事かと思います。

最後はこれですかね〜? ヨットを自由自在に操れるようになりたいし、自分の心も自由自在でありたい。究極のヨット遊びではないかと思います。

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