第八十八話 我儘志向

何でも思い通りにしたいというのが、我々です。暑ければ、クーラーを入れて、寒ければ暖房を入れる。イタリアンが食べたければ、車を自在に操って行くし、映画を見たければ映画館に行けば見れる。エアコン入って快適ですし、コーヒーもコーラも、ポップコーンも準備してあります。何でも、かんでも思い通り。

それが文明であります。思い通りにいかにするか?
それでも、すべてを思い通りになるわけではありません。だから、もっと思い通りにしたくなります。
でも、これはきりがありません。際限無く、我儘になるだけです。

我々の遊びは、大抵は誰かが整えてくれるから成り立っています。誰かが、レストランを造り、映画館を造り、遊園地を造り、それもできるだけ快適にしてくれます。そこへ行く交通手段もちゃんと整えてくれます。ですから、我々は楽に遊ぶ事ができます。どんどん快適になりますから、我儘になります。少しのずれも許せなくなります。そして、もっと快適を望み、もっと我儘になります。つまり、我々は、たいして苦労せずに、楽に遊ぶという事に慣れてしまって、それが当たり前と感じています。

ところが、ヨット遊びとなりますと、その快適さが失われ、思い通りにならない事が多い。暑いし、寒いし、スプレーあびるし、風も都合良くは吹いてくれません。我儘志向の我々にとって、不愉快極まりない。自然条件がおおいに影響するわけですが、それが思い通りにならないわけです。誰かに電話して、もうちょっと吹かせろとか文句は言えないわけです。

さらに、ヨットに乗って、どこかのレストランにもいけないし、温泉にでも行こうと思ったら、丸一日かかったりして。陸上での快適さに比べたら、全然快適じゃない。 私の我儘は、どこで叶えてくれるの?そして、だんだんと足が遠のく事になっていきます。

遊びは既にも冒険性を失っています。ですから、楽しくても、たいした事は無いわけです。わくわくするような事はほとんどありません。だから、その冒険性を垣間見せてくれるディズニーランドに人気が集まる。画面の中の疑似冒険なんかが、人気になったりします。

しかし、我々は冒険性を完全に失ったわけではありません。本当は楽なだけを求めたいわけじゃない。本当は何かにわくわくしたいんだろうと思います。ただ、やってみると、つい、慣れた我儘志向が顔を出します。

我儘になればなるほど、冒険性を失う。面白い遊びは、そこに冒険性が注がれ、確実では無いものの中にあります。という事は、我儘志向を少し抑えて、不確実性を遊ぶ。コントロールできない風や波に対して、コントロールできるヨットで、対峙する時、コントロールできない部分はそのまま受け入れる必要があります。それができれば、ヨットをいかにコントロールして、自然の変化に合わせる事ができるか?それが冒険性のある遊びとして、わくわくする感じを与えてくれるのではないでしょうか?

何でもかんでもコントロールしたがる我儘志向が面白いのでは無く、コントロールできないものにどう対応していくか、その冒険性に面白さがあるのではないでしょうか?うまくヨットを操って、うまく調和する事ができた時、不確実性から確実性を得た時、我々の心が喜びを感じるのではないかと思います。すべてがコントロール下にあっては、その面白さは湧いてこない。

もし、そうなら、我々の態度を変え、思考を変え、まずは、コントロールできない自然を受け入れる
そのうえで、どう対応していくかを遊ぶという事が必要ではないかと思います。対応すること、ヨットを操作すること、それが遊びである。コントロールできない自然と対峙した時、自分の対応で、どれだけ調和できて、どんなフィーリングを得られるか? そういう遊びなのではないかと思います。

そう考えた時、セーリングは格好の材料ではないかと思います。クルージングはどこかに快適性を求めてしまいます。本格的なクルージングは、十分に冒険性を持っていますが、近場のクルージングでは、それがあまり無い。近場のクルージングには、陸上のような快適性が求められるのではないでしょうか?それが、日本ではあまり無いというのが現実です。

それで、セーリングに、それもデイセーリングに遊びを求めてはいかがでしょうか?日常において、気軽であり、誰でもできて、しかも、冒険性もあります。ちょっと我儘志向を抑えて、自然をそのまま受け入れる姿勢があれば、誰もがわくわくするようなセーリングを味わう事ができるのではないかと思います。これは、陸上の完全管理された施設で遊ぶというのとは次元が異なると思います。
積極性があり、自然を受け入れる謙虚さがあり、そして、その調和を楽しむ感性が刺激を受けます。ちょっと大袈裟だったかな〜?うまく行く時を楽しみ、うまく行かない時でも、そんな事もあると
謙虚に受け入れられる。そうありたいと思っているだけですが。そこに何でもコントロールしようという我儘志向はありません。

ひょっとすると、我々は我儘になればなるほど、不快を創り出すのかもしれません。豊かさを享受しながら、何故、幸福感を得られないか? 時々、テレビなんかでも話題になります。それは、何でも思い通りにしようとする我儘志向が原因ではないか?

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