第八十四話 遊びの本質

遊びだからと言って、良い気分になるだけが遊びでは無いと思います。遊びの本質は、結果を気にしないというスタンスにあるのではないかと思います。仕事をすれば、その報酬が気になるし、株を買えば、値上がりを期待するのは当然です。だから、これらは遊びにはならないし、ストレスの原因にもなります。

これが俗に言う遊びと称されるものであっても、その結果を気にしますと、遊びでありながらストレスを生み出します。小生、たまにレースに出ますと、ついイライラしてしまいます。これは遊びですが、競走には順位がつきものですから、その結果を気にしないではいられません。ストレスを生み出す遊びもあるという事になります。

ハイスピードで走っているなら、これなら何時には到着と思った瞬間、少し遊びが消えます。何時に到着しようが気にしないでいられるなら、今この瞬間のスピード感、その走りをもっと楽しむ事ができるに違いない。これはストレスを産まない純粋な遊びとなるのではないか、ここに遊びの本質があるのではないかと思います。

仕事と遊び、一般的な分類の仕方がありますが、見方を変えれば、仕事も楽しむ事ができますし、遊びと称するものからストレスを受ける事もあります。ですから、遊びとは、何であれ、結果を気にしない行為という分類もあるかと思います。

レースは結果を気にします。結果を競う競技です。でも、遊びです。結果を競う遊びは、それが結果に比重を置きすぎると、遊びであってもイライラしてしまいます。でも、あまり結果ばかりに比重を置きすぎないで、プロセスの戦術とかに面白さを感じるなら、それは遊びの割合が大きくなった事を意味すると思います。レースで結果を全く気にしないというのは無理な話、レースはそう言う競技です。でも、もっと遊び心を増やす方法はあるのかもしれません。

世の中、何んらかの行為をして、その結果を気にしないなんてことは、ほとんどありません。だからこそ、遊びが必要で、日常生活において、何ら結果を気にせず生活できるのなら、敢えて、遊びなんかは必要もなくなります。

その遊びに対しても、我々は結果をつい気にしてしまう。習慣ですね。ですから、遊びからもストレスを受けてしまうのではないでしょうか?遊びが遊びでなくなってしまいます。そこで、その習慣を断ち切る為に、今している行為は遊びである事をあえて意識してはどうかと思います。

レースに参加するにしても、結果を無視しろとは無理な話ですが、遊びだから、途中の走り方や戦術、スピード等々を楽しむ事を意識してはどうでしょうか?そういう私も、ついイライラしてしまいますが、多分、すぐにはそういう切替ができないとは思いますが、徐々にでも、できれば、レースをもっと楽しめるのではないかと思います。

今できる事のベストを尽くすなら、結果を気にしようがしまいが、結果は同じ事。今できる事以外はできない事であり、できない事は気にしてもしょうが無い。そうなら、今何ができるかに集中した方が良いという事になります。その方が実際は結果も良い。

それがどんどんできるようになりますと、きっといかなる場面でも楽しめるようになるかもしれません。そうありたいと思っています。本当は仕事でも同じなんでしょうが。つい、気になりますね。気にしてもしょうが無いのに。解っちゃいるいるけど、やめられない。

今、目の前の事を、いかにさばくか?これが積み重なって、結果となります。結果を気にしないのが遊びなら、ただ、楽しいという場合のみならず、何かに打ち込んで、飯も食わずに夢中になって、何かをするというのも、体は疲れても、気分は上々。苦しさも、ただ苦しいでは無く、それに対処するというプレー感覚でできるかもしれません?もし、それが可能なら、全てが遊びのような、プレー感覚。なるほど、人生はゲームであるという意味がここにあるのかな?

そんな境地にもしはいれるのなら、無風、軽風、強風、いかなるセーリングも、そのままで遊ぶ事ができる? そうなれれば良いのですが。結果を気にしない。それは我々を自由に解放してくれます。その瞬間に集中し、堪能する事ができます。結果を出さなければならない行為だとしても、最上の結果を得る為には、結果を気にせず、その瞬間にベストを尽くす方が、より良い結果を得る方法でもあるのでしょうが・・・・・。

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