第七十四話 質と量

量が増えれば質が落ちる。このTALK&TALKも、長い間書いてきましたので、質がどんどん落ちてます。アイデアが出て来ないのを無理やりでも書きます。ですから、質は落ちるし、第一、そんなに次々に良いアイデアが自分の中から出るはずが無い。それでも、続けます。誰も読まなくなったら、その時、やめます。下らない、しょうもない、と思われようが、誰かが読んでくださるのなら、続けようと思います。少なくとも、だれにも迷惑はかけないでしょうから。

量が増えれば、質が落ちる。しかし、量が増えれば、増える程に質が上がるという場合もあります。熟練というのは、何度も何度も経験して、達せられる。量が多いわけです。多くの経験が集積して、その一挙手一投足に集中します。積み重ねですね。ですから、無駄な動きが無く、無駄が無いと動く方も楽になり、見ている側からすると、簡単にやってのけるように見える。難しい事を簡単そうにするというのは、相当なる熟練という事になりますね。

ヨットの難しさはどこにあるでしょうか? 動かすだけなら誰でもできる。風が弱い時、強い時、どういう対応ができるか?風が弱い時、誰もがだら〜っとしがちですが、それは変化が感じられないから。変化が無いわけでは無く、変化が微妙だから。熟練は、きっとそういう時でも変化を感じられる。変化が解るなら、それを面白さに変える事ができる。だからもっと熟練になります。

風が強いと、誰もが、ちょっとした操作で大きく変化するからすぐに感知できます。強風では恐怖があるかもしれませんが、その恐怖感を別にすれば、変化は分かり易い。その恐怖感も、熟練になりますと、わかってくるので、それもコントロールしやすい。

熟練というのは、技術的な面もありますが、その技術の裏付けによって、自分の感情をコントロールできる範囲が広くなると言えるかもしれません。微風で退屈するか、或いは、微風でも集中できるか?強風なら誰でも集中しますが、恐怖感を生み出さずに、その時すべき事に集中できるか?
要は、集中力のコントロールができる人という事になりましょうか。

面白さは集中力にかかっている。

自然は自然の勝手で変化しますから、こちらの都合なんてのは、お構い無しです。あらゆる自然条件の中で、どれだけ集中できるかが、面白さに比例します。そこにたくさんの量の経験が裏付けされると、もっと質が上がるようになるでしょうね。

物は有限ですから、有限な物は質と量が反比例し、技術的な無限なものは、量に比例する。但し、そこにも問題があります。熟練の人は、たくさんの量から自分で生み出したある固定的な思考なりが固定化されます。それが絶対正しいと思います。でも、絶対なんてのは、この世の中にはありませんから、間違う事だってありえる。

先日ですが、テレビで宇宙の太陽系の惑星について話が出ていましたが、水星、金星〜とあり、その中で冥王星というのは、惑星では無くなったとか? 科学の世界ですら、真実が書き換えられるのですから、真実とされる事も、今はそうかもしれませんが、未来永劫真実かどうかは解らない。
という事は、ならばそれはとりあえず、いまのところという感じですね。冥王星はそんな事知った事ではありません。人間が勝手に真実だとか言っているだけであります。

という事は、科学でそうなんですから、我々の思考なんてのはたいした事無くて、真実なんて無くて、いつも書き換え可能にしておく必要がありますね。でも、それが難しい。自分こそは絶対だと盲信してしまいます。

でも、まあ、セーリングはプライベートな事ですし、自分の量の積み重ねから、自分で書き換えていけば良いんじゃないでしょうか。自分の体験から書き換える方が簡単ですから。その書き換えが、新たな発見ですから、それは面白さにもなる。

ヨットの難しさは、ひとつひとつを取上げればシンプルですが、数多くの要素が複雑に絡んできます。自然条件の変化に、ひとつの行為だけなら簡単になりますが、あの要素もこの要素もからまる。
だから難しい。ならば、ひとつひとつバラバラにして、ひとつひとつ考えて見るという方法も良いかもしれません。それはやっぱり大量の経験が居る。そのバラバラになった要素を、ひとつに組み上げた時、それが質になる。ひとつを的確に操作しても、総合的な質としては上がりませんから。でも、最初はバラバラに考えても良いと思います。

物でもアイデアでも、量が質を決める。セーリングは集中した量の多さで決まる。年数ではありませんね。

次へ       目次へ