第七十話 ディズニーランド

ディズニーランドは大人が何度行っても楽しめる場所だそうです。いわゆる、リピーターが多い。迎える側からしますと、リピーターをいかに増やすかというのが重要なようです。一度は行ってみたいが、一度で十分となりますと、これはうまくいきません。ですから、ディズニーランドは、成功した最高の例だと言えます。

非日常を簡単に味わえる。しかも、これでもかとたくさんある。行く度に違う非日常性がある。そういう魅力があるのではないかと思いますが、ヨットの場合、これを旅に求めます。今居るマリーナ、その近所に非日常性を感じる事が、慣れてきますと少なくなってくる。ですから、旅にそれを求めます。ですから、クルージング派という方が多くなるのは当然であります。

ヨットのもどかしさは、この旅をいつでも、気軽に、好きな所に行くという事が難しいという点にあると思います。旅をして回るというのは、さぞ面白かろうと思いますが、なかなか簡単ではありません。ディズニーランドに行くのとはわけが違う。そこそこの決心も必要です。

旅というのは、時々だからこそ楽しい。陸上の旅にしても、誰もがそうしょっちゅう行くわけでは無い。陸上の交通機関を使って、準備された旅館に泊まるならば、簡単に行けるわけですが、それでも、毎週行くわけではありません。毎月でも行かないでしょう。まして、ヨットとなりますと、もっと難しい。逆に、毎週旅に出るという方がしんどくなります。旅は、時々、たまに行くから楽しいのではないでしょうか?

もし、毎日何かをするとしたら、どうしたら良いでしょうか?毎日で無くても、毎週でもです。近場のセーリングは天候さえ許せばしょっちゅうできますが、ただ、セーリングさえできれば良いというわけにもいいきません。自分がリピーターになるにはどうすれば良いか? 自然が相手ですから、自然はそんな事知った事ではありません。自分でどうにかしなければ。

そこで考えたのが、デイセーリングにおける、技術の向上と、それに伴うフィーリングの味わいです。外に求めますと、しょっちゅうはできない。自然は自然の勝手で変わります。こちらの都合なんか考えてくれません。ならば、自分の内部に面白さを創るのはどうか?これは自分次第です。

知識を持って、技術を向上させる。すると、向上した分、自分の感覚も向上して、これまでには気がつかなかったような事まで感知できるようになる。そこで、味わいがあります。幸いにも、知識も技術も完成がありませんので、これなら永遠にできる事になるし、感覚が鋭くなっていきますと、それが技術も押し上げる。技術と感覚の相乗効果が見られます。

しょっちゅうできて、気軽で、面白くてとなりますと、ヨットの究極的遊びはこれではないかと思います。ただ、問題は目には見えないという事です。見えないものを見るというのは簡単ではありません。余程、意識していないと、この循環には入れない。つまり、意識的セーリングが要求されます。
レースでも無いのに、そんなに意識して、集中して乗れるのか、という事になります。

ディスニーランドは向こう側が、工夫して、工夫して、努力して、もてなしてくれますから良いのですが、ヨットの場合は、相手はそんな事知ったこっちゃない。自分がアプローチしていかなければ、何もしてくれません。意識的であり、能動的である必要があります。

それで、セーリングに出ますと、自然はいろいろ自然の都合で変わるわけですから、今度はこちらは受動的、そのまま受け入れる姿勢が必要になる。もっと吹けば、もっとおさまればと思っちゃいけません。その時をそのまま遊ぶ必要があります。

もし、全部を意識的に動く事、受け入れる事ができるならば、いろんな発見があり、面白さがあるのではないかと思います。難しい事かもしれませんが、この循環に入るときっと面白くなるのではないでしょうか?一旦、この循環に入って、味わってさえおけば、後は何をしていても余裕ではないかと思います。気持ちの余裕です。ピクニックしかり、ファミリーセーリングしかり、デートセーリングしかり、何でも来い。メインテナンスだって、嫌なことでは無くなる。

面白さを外に求めますと、いろんな障害も出てきますが、内に求めますと、その障害を最小限に抑える事ができるのではないか?すると、いつでも、どこでも、気軽に、ひとりでも、誰とでも、遊ぶ事ができるかと思います。でも、自分をコントロールするというのは、自分自身でありながら、難しいものです。自由なはずなのに、全然自由じゃありません。だから、意識する事が重要では無いかと思います。今何をして、何を考え、何を感じているか?究極の遊びは、自分のコントロールにあるのかもしれません。それによって自由自在になる事かもしれません。セーリングのテーマとしては、ピッタリなんだろうと思います。だからデイセーリングなのであります。

ヨットは素晴らしい、でも同時につまらないものでもある。片方をだけを見るのはかたて落ちかもしれません。

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