第六十一話 操作の意義

ある操作をして、その反応が解るなら、それが面白さだと思います。その操作で良かったか、悪かったかと判断もつきます。でも、操作して、その反応が解らないなら、その操作の意義が解りません。それでは面白さが解らない事になります。

いかなるヨットであろうとも、ある操作をすれば、何らかの反応は必ずあるはずです。しかし、鈍いヨットは、その反応の程度非常に小さいので、余程敏感な人じゃないと解りません。敏感なヨットはその反応が良く伝わります。セーリングを遊ぶとしたら、操作とその反応を遊ぶわけですから、いかに自分が鋭敏になれるかと、できれば、ヨットも鋭敏な方が分かり易いという事になります。

シートをわずかに出す、或いは引く。そんな細かい事までしなくても? と昔は思った事がありますが、もし、そのわずかな操作をして、それでもその変化を感じ取れるとしたら、操作の意義がありますし、面白さも感じられる。

要は、どんな操作であれ、大胆であれ、繊細であれ、その反応を感じ取り、どう判断していくかが面白さで、反応が感じ取れないなら、面白くもなんとも無い。まあ、スピードは風に応じて出るわけですから、全く反応を感じないわけではありませんが、それだけだと、面白さの幅としては、小さくなります。スピード以外にも、いろいろな変化を感じ取れた方が面白いわけですから。

反応があるから、操作をします。また、操作すれば反応を感じます。いろんな状況で、いろんな操作で、いろんな反応を楽しむ。それがセーリングの面白さなんだろうと思いますね。

それをひとりで難なくこなせるなら、これは最高の贅沢ではないかなと思います。何故なら、シングルである方が、簡単に集中する事ができます。誰かがいますと、その人が完全に自分と同じ方向を向いていないなら、やっぱり、何か気になります。気になると、集中力が減じられます。ですから、セーリングはシングルで、或いは同じ方向を向いた相棒とで、そしてゲストや友人とでは、別な乗り方になります。でも、それは乗り方にバリエーションを与えてくれますから、歓迎すべき事ですね。

クルージングの醍醐味は、旅にあり、行った先々への到達感になり、その地でのいろんな経験にあると思います。同じヨットを使った遊びでも、セーリングとは全然違う味わいがあります。どっちが良いなんて比較するのはナンセンス。ゲームの内容そのものが違うのですから、例えば、同じ球技でもサッカーと野球は違うもの。どっちが良いと、誰も比較しません。でも、球技というジャンルで言えば同じであります。

という事で、同じヨットというジャンルではありますが、セーリングとクルージングは別のゲームだと思います。どっちのゲームをするか?是非、両方を試して頂きたいと思います。そして、きっと自分のフィーリングにさえ注意していれば、どっちが自分に合うのかがわかってくるかと思います。そして、合う方を自分のスタイルにして、それでも、時々はもうひとつのゲームも楽しむ。

セーリングは内側を探るゲーム、クルージングは外を探るゲーム。セーリングは量子物理学のように小さく、内面を探り、クルージングは宇宙をさぐる、外を見る。例えればそんな感じでしょうか。
セーリングは操作の意義を重んじ、クルージングは大胆さでしょうか。

しかし、どちらも、心に何を感じているかが最も重要だと思いますね。

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