第五十四話 変化に気付く

我々は何かをしては、慣れて飽き、また違う何かを求めていきます。いつも刺激を求めています。
変化は常にあるわけですが、気が付か無い事が多い。風はいつも変化しています。波も変化しています。しかし、その日の、その時と次の瞬間の変化は、変化しているものの、その度合いは小さい。

微風にであったら、もっと吹いてくれないかな〜と思います。でも、そんな事は無い。我々は変化を求めてきました。そしてより大きな変化を求めます。そして、どんどん鈍感になりつつあるかもしれません。大きな変化しかわからなくなっている。期待する程度の大きな変化は、その日では無く、別な日を待たなければならない。すると、その日は何でも無い日、楽しくない日として終わる事になります。

ある一定の風が面白いとするなら、その他は面白く無いとなります。休みの日であって、天気が良くて、そして風が良い日はますます少なくなります。おまけに、クルーが必要なら、クルーの休みも条件に入る事になります。条件が多い程、すべてが整うのは少なくなります。

そこで、もっと面白さを増やす事を考えます。風や波、天候具合はこちらでどうする事もできません。従って、人為的な条件はできるだけ少なくして、どうしようも無い自然条件に対して、ある一定の条件のみを面白いと思う事をやめてしまう。自然条件に何も期待しない。

ヨットを楽しむ一番の方法は、コントロールできない自然に対して求めない、期待しないという事かもしれません。マリーナに行ったら、無風だった。或いは、強風だった。ありとあらゆる条件の時にどう対応するか? 出航をやめる方法もあるし、出して、その時の状況を味わう事もできる。

ある好ましい条件が、いつも整うのなら、さぞ面白かろうと想像しますが、もし、そうなると、それも必ず飽きてしまう。まあ、そういう事はありえませんが、実に勝手な想像であります。実にうまくできたもので、無風から強風まで、ちゃんと変化を与えてくれます。その方が本当は面白い。

強風は変化に簡単に気付く事ができますが、風が弱いと変化に気付く事は難しい。それで、つまらないと帰る事もできますが、もし、微風でも、その微細な変化に集中する事ができたら、面白さの幅が広がる事になります。でも、操作に反応するのも、微細な変化ですから、大きな変化にしか気付かない鈍感さでは気付くのは難しい。

自然が勝手に変化するのなら、我々も、それに合わせて変化する必要があります。強風の時、程良い風の時、微風の時、それぞれの自然条件に、こちら側の意識も合わせる事ができるかどうか?それができれば、面白い時は増えますね。何も期待せずに、その時の条件に、自分も合わせて遊ぶ。強風は強風の時のように、微風は微風の時のように、まあ、なんだか達人の世界かな?

帆走の腕がある人は、セーリングの達人かもしれません。でも、ありとあらゆる条件において、それなりの自由自在の対応ができる人は、遊びの達人かもしれません。どっちがより面白いかというと、言うまでもなく、後者ですね。セーリングの達人になるのは大変でありますから、我々はできれば遊びの達人を目指した方が良いかなと思います。

遊びの達人は、自分でコントロールできない自然条件に対しては文句を言わない。期待もしない。その時々で、できる事をする。できる事を楽しむ。そうできたらと思います。遊びの達人は微風の変化さえも気付こうとして楽しめる人ですね。多分、変化は常にあり、その変化に気付く人、どれだけ気付けるかという事かもしれません。

遊びの達人は、できる事にどれだけ集中して、そこに遊びを創造できるか、それに卓越した意識を持つ人かもしれません。達人の世界ですから、簡単では無いのですが、でも、期待さえしなければ、来るものをそのまま遊ぶ事はできるかもしれません。

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