第三話  インターネット功罪

インターネットの普及は世界中の情報を簡単に手に入れる事ができるというものです。しかも、その情報発信は誰でもできる。ある特定の人間だけができるのでは無く、彼も彼女もできるという事です。

テレビの時代では、発信者はテレビ局を通じる事になります。情報の受け手は、受けるだけであり、発信は無かった。そこがインターネットの大きな違いでしょうね。

良い事ばかりかと言いますと、必ず、その反対があります。まず、その情報は正しいのか?誰かが発信した情報の真偽はどうなのか?我々は、文書や写真の情報を、そのまま信じてしまう傾向にあります。その情報は確かなのか?

次に、その情報はいつ発信されたのか?これも問題です。
時代はどんどん変わっています。何年も前の情報が、そのままインターネットに流されているわけですから、いつの情報であるのかが重要ですね。物事は常に変化していますから。テレビの情報は、その瞬間で終わります。でも、インターネットの情報は、ビデオのようにそのままずっと残る。ですから、いつ?が重要です。情報は新しい変化であるべきです。

世界には、いろんな物があり、いろんな事が起こります。それらが事実だとしても、我々が受け取る時、それを理解しますが、同時に、想像したりもします。そして評価します。その評価は絶対では無く、評価を下した人、特有のものであります。美しいと言葉で言いましても、全ての人の美しいは、それぞれ異なります。

という事は、世界は事実と、それを理解し想像した世界で成り立っている事になります。事実は事実単独では何の意味も持たず、それを解釈した時に、意味を持つ。その解釈は人それぞれという事になります。解釈は事実ではありませんね。多くの場合は相対評価という事になりますか。

情報を得て、頭脳をもって、言葉に置き換えて理解する。その時、過去に得た情報からの影響は避けられません。それに比べたら、感じたフィーリングというものは、自分の中から出てきたものであり、少なくとも、その時の自分自身ではないかと思います。これもよくよく注意しないと、知らない間に、他人の影響という頭脳が入り込む。

セーリングにおいて、フィーリング重視と、言ってきましたが、自分のフィーリングを意識する事によって、本当の自分のフィーリングかどうかを、いつも注意していますから、解りやすくなると思います。事実を見て、その瞬間の自分のフィーリングこそが、自分の世界?

このヨットが良い、あのヨットが良いと、いろんな評価がありますが、どれも正しくないし、どれも間違ってはいない。すると、何を基準にするかは、自分のフィーリングではないでしょうか?

インターネット時代は、情報時代。洪水のように、情報があふれていますから、どの情報を取り、どの情報を捨てるかは、重要な事。フィーリングという曖昧なものという感じもするかもしれませんが、でも、頭脳が正しいとは言えない。注意さえしていけば、フィーリングというのは、かなり役立つツールではないか?そして、それは普段から自分のフィーリングを意識する事が重要で、それはセーリングをフィーリングという面から捉えて遊ぶ事によって、慣れてくる。

インターネットという最新の技術を、フィーリングという人間のベーシックな能力で判断しようとするのですからどうでしょうか?でも、これはかなり信頼できるアンテナではないかと思っています。事実を言葉で解釈する前に、事実のまま感じるという事。どんな感じを得ているか?それを意識する事、ここに何か信頼できるアンテナがありそうな気がします。

インターネット時代は、その情報の受け取り方で、随分違ってくると思う次第です。

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