第二十九話 ミクロとマクロ

前にも書きましたが、それがレジャーなら、年に数回で良い。そして、楽しければ良い。しかし、ヨットはオーナーになった瞬間、ヨットをレジャーのままにしておく事はできなくなる。それはレジャーから、趣味へとステップアップするという事だと思います。他人のヨットだからこそ、何の責任も無く、レジャーとしてヨットを捉え、年に1回か2回でも乗せてもらえば、それで十分かもしれません。

オーナーになるという事は、レジャーよりももっと何かを得たいという事。何かを得ようと行動を起こせば、実にいろんな事があります。良い事ばかりを願うのは人の常。しかし、そうは行かないのが現実です。

しかし、想像してみますに、もし、良い事ばかりあったら、願う通りに何でもなったら、それが面白いのか? 波は無く、いい風が吹いて、快走を味わえる。レースなら、いつもトップを取る。クルージングに行っても、時化などに遭遇する事も無い。いつもそうなら、さぞ良かろうに、と思います。
しかし、本当にそうでしょうか?きっと、いつもそうなら、これはこれで、面白くないと感じてしまうのではなかろうか?

現実には、そんな理想的な状況ばかりになる事はありません。が、万一、そうなっても面白くない。
多分。そうなった事がありませんから、実際は解りませんが、多分、そう思うようになると思います。実に、身勝手な話なのであります。

そこで、面白いという事を考えますと、やはり、いろんな事があって、いろいろ苦労する事もあるかもしれませんが、そこに工夫したり、我慢も必要でしょうが、そういう事を経験しながら、時に、すべてが整って、最高の体験も交わる。結局は、今ある状態、いろんな事がある状態が本当は最も良いのかもしれません。

という事は、出来事に一喜一憂するよりも、しんどい時は苦しい等ありますが、それをあえて、抑え込んで、その瞬間の状況に対応したり、工夫したりして過ごすとう感覚を味わい、良い時は、その感じを十分に味わう。感じ方の変化として捉えるのみで、良いとか悪いとか、あまり評価しない方が良いのかもしれません。

そうやって、続けりますと、そこに進化が生まれます。昨年よりも今年の方が、進化しています。ですから、同じような辛さは無い。同じような感じは無い。同じような良い感覚も無い。全部が進化していますから、その進化の変化を面白がる。簡単に言えば、うまくなったという感じ、その感じから、新たな感じを得ます。自分の腕も進化し、自分の感覚も進化し、知識も進化していきます。
結局、良い状況を願うというより、進化を面白がる。

これは言わば、ゲームです。セーリングゲームをして、今日は、どういうゲームにしようかと考えますし、もっと大きな目で見れば、何年にも渡るゲームとして、その進化具合を面白がる。今日一日がどうかという事も大事ですが、ミクロ的には、いろいろあるし、いろいろ無ければ面白くない。そして、マクロ的にみて、それが全体として面白いゲームとして捉える必要がある。つまり、日々はいろいろあるけど、長い目でみれば、面白いという風にならなければならない。それはゲームだと思う事、ゲームとして進化している事を感じていく事ではないかな〜?

だから、今日マリーナに行ったら、風が無かったとしても、文句を言っちゃあいけません。そういう日も必要ですね。強風だった、雨が降った、雷だった、クルーが来なかった、等々にいちいちイラついてはいけません。長いゲームを楽しむには、そういう事も必要であると思う。実際、そういう事もゲームに必要ですから。イラついたら負けです。ゲームが面白くなくなります。

変化を楽しみ、その変化は良い事も悪い事も、そうやりながら長期的なゲームを、自分の進化を見ながら楽しむ。これしか無い。

とは言っても、難しい事ですね。どうしたら良いのか?ひとつは、自分の感じを意識している事ではないか、気がつく事ではないか、そうすれば、何とか対応できるかも?その方法が解るかも?

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