第七十一話 快適主義をぶち破る

セーリングの面白さは、緊張感にあると思います。何も危険な状況に身を置くという意味ではありません。神経が集中した時の緊張感です。

風に対して、セールを観察して、フィーリングを観察して、ある操作を行います。そして、それがどう変化していくのかを緊張感をもって見守る。良いバランスを保って、走る状態に集中する事ができるなら、それが緊張感であり、それが面白さだと思います。

そこからふっと緊張がほぐれ緩和した状態に変化した時、この緊張と緩和の落差を感じます。3時間セーリングするとしても、緊張しっぱなしという事はありませんが、3時間の中に、何回か、そういう集中する時があれば、結構セーリングは面白くなると思います。

それで、そういう場面を意図的に作ります。舵を取って、出来る限り直線で走る。波や風の影響を受けようとも、一直線を目指す。これも集中力が必要になります。振り返って見れば、海面に走ってきた波の跡が残ります。

一直線で走りながらも、風が変わるので、風が変わる方向にいつも同じ角度で走れるように、舵操作をする。ジブのテルテールの流れを見る。これも集中力が必要です。

一直線で走って、風向が変るも、舵はそのまま、一直線のまま、。そうしますと、変わる風向に合わせて、セールの方を調整していきます。これにも集中力が必要です。

これらは、舵とジブシートとメインシートだけの操作でも良いと思います。それだけでも、集中力を要し、緊張とその後の緩和をもたらします。おまけに、間にタックを入れると変化がプラスされます。

さらに、風速の変化があります。舵とシートだけでも良かったのが、風速の変化に対して、もっと何かをと思う時、風速の変化に合わせて、シートだけで無く、トラベラーやバングや、そういう艤装を加えたセーリングも出てきます。

セーリングは集中して、緊張と緩和を楽しむ。簡単な方法から、複雑な方法まであります。どこまでやるかは自由。3時間のセーリングのうち、わずか30分の集中であっても、かなり気分としては違うものになります。

集中してやりますと、必然的にうまくなる。緊張と緩和をその場だけで楽しんでいるのでは無く、徐々にうまくなるという褒美がついてくる。すると、もっと複雑な事が、簡単にできるようになる。

すると、そのうち操作に対してあまり気を使わないでもできるようになり、その分、セールフィーリングに集中力が増す。すると、さらに変化を感知する感知機能が鋭敏になり、いままで気付かなかったわずかな変化さえも簡単に感じるようになる。

すると、それがまた腕を上げることにもなります。そうやって少しづつ腕も感性も磨かれていきます。もちろん、簡単な事ではありませんが、時間はあります。最低10年は乗るでしょう?

そこで、もし、もうこのヨットでは、面白味が無い。限界だとなりますと、そういう高性能のヨットに買い替えたくなるかもしれません。すると、また、全く違うセーリングに驚くかもしれませんね。

ヨットを物理的な面で見ますと、スピードが違うと言っても、2倍も3倍も違うわけではありません。確かに、何時間も走りますと、距離的には大きな差が出ますが、それでも、2倍もスピードが違うわけではない。1ノットのスピードの差で、1時間走れば1マイルという、距離的には大きな差が出ますが、スピード差は1ノットです。大きい差ではあるのですが。

でも、ヨットを感覚的な面で見ますと、ヨットによって大きく違います。それは自分の感覚がどれだけ鋭くなっているかにもよると思います。でも、感覚重視のセーリングをしてきますと、数値では言えませんが、全く違うセーリングになってしまいます。

面白さとは、最終的には、この感覚的な変化をどれだけ捉える事ができるか?緊張と緩和をどれだけ遊べるか?そういう事ではないかと思います。ですから、意図的に集中して緊張を高める場面を作ることに寄ると思いますね。

そういう遊びをセーリングに持っているとしたら、そこの追求に面白さを感じるのではないかと思います。そして、そうでは無い、ゲストを迎えたピクニックセーリングにおいても、違うセーリングとして、ゆったり楽しむ事ができるのではないかと思います。

つまり、いつもメリハリを持つ。セーリングの中にもメリハリがあり、セーリングとピクニックにもメリハリがある。このメリハリは緊張と緩和だと思います。面白さとは、メリハリをつけるという事ではないでしょうか?これは遊園地に遊びに行って、楽しかったという事では無く、もっと進んだ面白さという感覚ではないかと思います。今、この瞬間に集中さえすれば、誰でも味わえる感覚だと思います。そして、これを少しづつ進化させていく。10年なんかあっという間です。

そして、いつかヨットから足を洗う時、どこか特別なところに行ったわけでも無く、特別な事をしたわけでも無くても、きっと心は充実していると思います。

まずは、ピクニックセーリングを推奨しています。その中にもちょっと集中できる場面もあるでしょう。それに物足りなさを感じたら、もっとセーリングをします。そして、セーリングとピクニックのメリハリをもつけます。きっと面白いと思いますが、いかがでしょうか?

緊張感の無いもの、集中しないもの、そういう物に面白さは無いと思います。否、面白いかもしれないのですが、集中していないと面白さが解らないという事になります。快適主義をぶち破る何かは集中にあり、そして、何に集中力を発揮するかでしょうね。

レースはしませんという言葉で、多くの方々が、セーリングを深く求める事はしませんでした。でも、レースはしなくても良いのですが、ヨットですから、セーリングの何たるカを求める事に、レースもクルージングも無い。セーリングそのものを遊ぶというのが、基本的なヨットの遊び方ではないでしょうか?その深さのどこまで到達するかは問題では無く、求める遊びが面白さなのではないかと思います。それさえあれば、快適主義に翻弄される事も無くなるのではないかと思います。何が必要で、何が不要か、便利は何でもあれば良いというものでは無い。それがちゃんと自分なりに解るのではないかと思います。誰も、便利だからと自分の面白さを壊したくはありませんからね。

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