第六十八話 ヨット離れ 続き

以前、現在のクルージング艇がヨットの面白さを失わせている、というような事を書きました。現在のクルージング艇に、快適主義をぶち破るような面白さがあるでしょうか? それどころか、現在のクルージング艇は快適主義そのものを追及したものだと思います。でも、それでみんながもっと面白くなったのでしょうか?

別に快適主義が駄目なわけでは無く、快適は良い事ですが、快適になる事によって、もっと面白い何かがほしいものです。できなかった事ができるようになったとか、頻繁に出るようになったとか。

クルージング艇が悪いわけでは無いと思います。でも、使い方に問題がある。クルージング艇はクルージングという旅をする為にあります。沿岸だろうが、外洋だろうが、旅を楽しむ為のヨットです。そしてその旅とは日帰りでは無く、何日もかけてするような旅です。そこにおいて、今日のクルージング艇は本領を発揮すると思います。

しかし、多くの場合は、クルージング艇をそういう旅に使うケースは少なく、日帰りの、いわゆるデイセーリングに使われます。しかも、クルーが来ないと出れない状況も多々見られます。それでも、年に何回かは旅を楽しんでいるなら、日帰りセーリングも楽しむ事はできるでしょう。しかし、旅も滅多に無いような状況でなら、日帰りセーリングもたいした事無いように感じます。何故なら、心ははるか海の向こうにあるのですから。それに本気でセーリングしようという事でもありません。

日本にある殆どはクルージング艇と称します。でも、旅は滅多にしません。滅多にしないのに、レースはしないからという理由で、クルージング艇を選んだわけです。でも、クルージング艇にしたけれど、旅も滅多にしない事に気付きます。これでは、面白さの動機付けが非常に弱い。快適主義をぶち破れるはずが無い。

快適になる事は良い事です。でも、面白さというのは、快適の中にあるのでは無く、外にあるのだと思います。面白さを味わうなら、快適の外に出る事さえもいとわない。快適と面白さのバランスも必要です。

そこで提案しているのが、セーリングであります。誠に残念ながら、現在のクルージング艇では、セーリングの面白さは、それほど大きな動機づけにはならないような気がします。

クルーが来ないと、ひとりでは出せないというのは、大きな欠点です。腕次第という人もおられるでしょうが、現状をみれば、もっとそのハードルは下げなければなりません。腕次第では無い。もっと簡単に出来なければならない。誰もが、誰かを誘って、簡単に出港できる気軽さが無いといけません。ピクニックセーリングぐらい誰でも簡単に出来なければならない。クルージング艇はボリュームがでかくなり過ぎました。

セーリング操作をするに、使いづらい。手が届かない。届いても、より多くの腕力が必要です。必死で頑張らないといけません。それに、安定性も低くなった。重心が高くなった。クルージングを強調してきたあまり、セーリングはないがしろにされてきたのではないかと思います。

クルージング艇でセーリングするも、面白さを味わうチャンスは少ないのではないかと思います。何故なら、クルージング艇は旅をする為を第一に考えているからです。言い過ぎでしょうか?

この事は欧米でも同じ状況かと思います。欧米人はパーティー好き。それも気軽に、しょっちゅうで、上手に時を過ごす。マリーナを歩きますと、出港しているヨットは少ないものの、人は実に多い。
そういう中でも、ヨット離れがおきてきた。

毎年、少ないですが、新艇がやってきます。大きなキャビンはもちろん、最近ではメインファーラーも電動ウィンチも珍しくはありません。で、そのヨットが最初はたくさん人がやってきて、良く動きます。でも、2年目ぐらいになりますと、動かなくなっていきます。そのヨットは桟橋につながれたまま。
それでも、船底塗装はきちんとされます。しかし、段々と回数が減って、ヨットによっては、船底が汚れっぱなし。こんなはずじゃなかったのに。

これは例外的に起こる事では無く、こういう事例が多いです。何かが問題なのです。昔のクルージング艇から、進化して、現在のクルージング艇は、セーリングよりも快適キャビンを強調してきました。それがセーリング離れを助長してきたのできたのではないか?旅をするなら、それでも良いのですが、旅をしないなら、クルージング艇という従来の選択の仕方は、そのままで良いのか?

もちろん、クルージング艇をデイセーリングに使っても良いのですが、その場合は、ひとりはクルーを確保したいですね。舵持ったまま、少なくともシート操作ぐらいできれば良いのですが。オートパイロットという方法もありますが、近所のセーリングでは、できれば自分で舵を握った方が面白さがあると思うのですが?クルーが居なければ仕方ありませんが。

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