第六十七話 ヨット離れ

快適主義が横行するなら、ヨットなんて乗ってられません。ヨットが快適になるのは、年に何度あるでしょうか?風が弱い、風が吹きすぎる、暑い、寒い、波を被る、いろいろ快適では無い事がたくさんあります。それゃあそうです。快適主義はある特定の状態をピンポイントで指しますから、そんなのは、滅多には無い。それに自然はコントロールできませんからね〜。

それで、バーチャルな体験で済ます。映画を見ますと、いろんな冒険ができます。他人のドラマが疑似体験できます。それで満足します。映画館は快適です。快適の中で、いろんな体験ができます。それに最近では3Dが出てきた。これまで以上にリアルな体験ができるようになる。

しかし、我々の感覚こそが生きている証みたいなものですから、これが擬似体験で、果たしていいんでしょうか?リアルな感覚として体験を続けた場合と、バーチャルでの体験と、感覚としてどうなんでしょう?

まあ、世の中そんな風に流れていきますから、これをストップする事はできません。でも、幸いな事にバーチャル体験が流行りますと、必ず、本物の体験を重視する人達も増えてきます。何かが出てくると、その反対側も出てくる。そういう方々は本気です。

我々はみんな快適主義で生きてます。人生をより快適にしようと、いつも模索しています。しかし、それだけでは面白く無い事も解っています。でも、とりあえず、面白さが見つかる迄は、快適主義の中に居る事にしようという事になります。

その快適主義をぶち破るには、相応の動機が必要で、それさえあれば、誰もが、そこに向かうようになります。

つまり、面白いという動機。これ無しでは、あえて快適主義をぶち破ってでも行動をしようという気にはなりません。果たして、今のヨットにそれがあるか?そこが問題です。

多分、ヨットが、完全に快適の中で遊べるものであるなら、きっともっとたくさん流行ったでしょう。誰もが、簡単に出来て、快適の中に居れるのなら。でも、現実はそうでは無い。むしろ我々が望む快適さとは全然違っています。

にもかかわらず、我々はもっと快適にしようと考え、装備します。でも、それでも我々が考えている快適さとは随分離れてしまっています。何故なら、自然をコントロールできないからです。我々が思う快適さは、自然をもコントロールするのが条件になります。ヨットでそれができないのなら、いくら快適装備をしても無理な話、限界があります。

そこで思う事は、我々は快適を目指すのでは無く、面白さを目指さねばならない。快適も良いが、それ以上に面白く無くてはならない。それが、強い動機、快適主義をぶち破る動機になります。
エアコンが入ったキャビンから、外に出てくるには、面白さの動機が要ります。エアコンの効いたキャビンに居ても、面白くは無いのですが、外に面白さが見出せない以上、快適主義の方が良いという事になります。

問題はやっぱり、ヨットがいかに面白いのか?そこに尽きます。ヨット遊びはいろんな方法がありますが、その中で際立って面白くなければならないのは、セーリングであります。セーリングはヨットの基本であり、ヨットでしか味わえないフィーリングです。これに面白さを感じないならば、いくらキャビンが快適であろうと、面白くは無い。動機は薄いという事になります。

快適主義では面白く無いよ、いくら呼びかけても、誰も振り向きもしない。快適主義は我々の本能のようなものだから。それより、ヨットがいかに面白いのか、そういう可能性を紹介しなければなりません。

しかしながら、現在のヨットの状況を見ますと、その動機になるような面白さを味わっておられる方々が非常に少ない。マリーナのヨットを見れば一目瞭然です。動いていないのですから。現オーナーが楽しんでいないヨットに、誰が新規参入してくるでしょうか?動機が見当たらない。ゲストとして乗せてもらっても、強い動機が湧かない。現オーナーさえヨット離れが見られるぐらいです。

続く

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