第五十二話 安全地帯

20年ぐらい前、ヨットについてああでも無い、こうでも無いというヨット談義が盛んに行われていました。それがやがて、ヨットが変化していきます。いわゆるクルージング艇の台頭。

ブームが頭に当たると危険です。だから、ブームの位置を、頭に当たらないように高くした。メインシートはコクピットにあると邪魔だから、キャビン入り口の向こう側に追いやった。これでコクピットはスッキリ。

スッキリしたコクピットには、テーブルを着けたら良いじゃないか。雨が降った時やスプレーを浴びるといけないので、ドジャーを着けよう。夏の日差しはたまりません。では、ビミニトップが良いね。
そうやって、コクピットをオープンスペースにして、みんなが座れる安全地帯を造りました。

典型的なクルージングボートの誕生です。時を経て、徐々にこういう形が生まれてきた。でも、考えて見ますと、昔よりヨットが動かなくなってきた。快適コクピットをせっかく作ったのに。キャビンだって、昔にくらべれば遥かにでかい。今じゃ、温水だの冷蔵庫だの、当たり前の時代。それなのに、何故?

そこで、誰かが考えます。電動ウィンチを着けよう、メインもファーラーにしたら良い。そうしたら、簡単に動かせるし。ステレオもテレビもDVDも着けちゃえ。エアコンなんかどうよ。これあると、快適ですよ。そうやって、いろいろ快適装備にしたのに、何故動かない?

気が着くと、もはやヨット談義なんかありません。意識が変化してきました。

以下、暴言ですが、クルージングヨットがヨット界を駄目にしている?もはやヨットという感覚が薄れて、動く、セールのついた乗り物と化している。誰も、セーリングしてどうこう思わない。実に便利になりました。気楽にクルージングができる。ナビゲーションはGPS,それにオートパイロットがついて、のんびりコクピットに座っていれば良い。便利極まりない。誰もが想像できる。でも、ちっとも面白く無い?

面白いなら、みんなもっと乗ってるはずです。面白く無いんです。ただ、便利なだけです。便利を追求し過ぎると、それなら車で行った方がまだ便利という事になってしまう。便利を追求しすぎて、自分の面白さを失ってきたのではないか?

業者の私が言うべきことでは無いのですが、極論ですけども、そんな感じがしないでも無い。オーナー同士が集まって、ヨット談義していた時代は、みんな活き活きしていました。

実は、今日、4人の若い人達で出会いました。彼らは、目下セーリングの練習中。みなさん、活き活きとした顔をされていたし、いかにもヨットが楽しいという感じ。昔はみんなそんな顔をしていたのでしょうね。でも、最近は、そういう表情を見る事は少ない。いくら年を取ったとはいえ、のんびり、ぶらぶらばかりじゃ、活き活きとしようが無い?

業者である私としては、売れれば良い、何でも良い。でも? 活気の無いマリーナでは、楽しく無い。何か無いか?年を取ったら、取ったなりにも、何か面白い事ができないか?こんな状況を作ったのは、快適クルージング艇ではないか? 元凶はそれだ。

ヨット乗りは、快適さを求めてヨットに来たわけじゃない。ヨットが面白いからヨットに来た。ヨットの何が面白いのか?エアコンじゃない、テレビでも、DVDでも無い。キャビンでも無い。セーリングでしょう。だからと言って、何も難しいセーリングを追及しようという事では無く、便利、快適さを求める心を、もう一度、セーリングに持っていった方が良いんじゃないか?

年とっても、それなりのセーリングはできる。体では無く、意識をセーリングに持っていく事が重要で、セーリングの質を気にする事が重要で、それが面白さだったんじゃないか?いつの間にか、気が着いたら、コクピットでお茶してる。それが本当に楽しいんでしょうか?するな、という意味ではありません。本当の面白さはどこにあるのか? 昔ヨットを始めた頃、きっと、面白かったはずです。その頃は、今みたいに便利でもなかったはず。

便利も良い、快適ももちろん良いし、ゆったりものんびりも良い。エンジンで行くクルージングも良いし、お茶するのも良いし、エアコンの入ったキャビンで昼寝するのも良い。でも、どこかに、セーリング意識をもっていないと、この先、きっとヨット界はつぶれてしまう。

そんなヨットにゲストとしてよばれても、ヨットって何が面白いの?こうなります。激しいセーリングする必要も無いし、自分なりで良いんですが、意識がキャビンや快適装備では無く、やっぱりセーリングにあるべきではないでしょうか?快適を享受しながらも、やっぱり意識はセーリングにないと、面白さがいつの間にか薄れ、失ってしまわないか?

我々は、長い年月を経て、徐々に、造船所の陰謀に慣らされてきたのではないか?パーティー好きの欧米人には良いかもしれない。しかし、我々日本人はちょっと違う。何故、ワールドサッカーにこれだけの人がエキサイトするのか?便利でも快適でも無い。エキサイティング、緊張感があって、変化があって、だから面白いんです。

人のせいにしてはいけませんが、もう一度、セーリングに意識を戻して、ああでも無い、こうでも無いという意識が、面白さの源泉ではないかと思う今日この頃?

これは暴言であります。

一部の人達が外洋に行ったり、世界を回っても、ヨット界は殆ど関係が無い。それなら俺も、とみんなが思うなら別ですが、そんな事できるのは一部の方々です。それよりも、マリーナに行けば、少なくとも週末は人が一杯で、活気に満ち、たくさんのヨットが海に出て、マリーナはがらがら状態なら良い。今は、ヨットやめる人が増えて、がらがら状態になろうとしている。世界なんかどうでも良い、アメリカズカップなんかどうでも良い。それより、我々が楽しいのか、面白いのか、こっちの方がよっぽど大事なのであります。ヨット談義が盛んになるようにならなければいけません。

オーナーが楽しんでいないヨットに招待されても、ゲストが面白いと思うはずがない。元凶はクルージング艇にある。このヨットらしき物が、人々をセーリングから遠ざけてしまった。パーティーボートと化してしまった。これは一種の洗脳であります。我々は洗脳されてきたんです。便利が良いんだと。広いキャビンが良いんだと。セーリング艤装を遠くに押しやってしまった。それが良いんだと洗脳されてきた。

その洗脳に気がついた人は、セーリングを意識しはじめる。セーリングの面白さを、取り戻そうとする。重要な事は操作では無く、意識なんですね。セーリングを気にするという事です。そして、今、そういう人達が大勢、欧米に出てきた。そして、彼らはデイセーラーに向かう。 これも洗脳ですが。否、啓蒙と言いなおします。でも、本当にそうなんだろうと思います。もう一度、セールフィーリングを取り戻そうとしているんだと思います。

クルージング艇でも良い。是非、セーリングをちょっと気にして頂きたい。いつもじゃなくても良い。もう一度、ヨットの何が面白いのか、昔は何が面白かったのかを思い出してください。便利も快適も捨てる必要はありませんが、是非、セールフィーリングを取り戻していただきたい。

日本のヨット界はまだまだ始まったばかり。それがもう、安住の地に落ち着くような、枯れたような感じになっちゃいけません。快適、便利クルージング艇に洗脳される事無く、それを使いこなして、便利さ故に、もっとセーリングが楽にに楽しめるようになったと、我々の意識がヨットに洗脳されるのでは無く、越えてしまわねばなりません。やっぱり、なんだかんだ言っても、セールフィーリング、これこそヨットでなければ味わえない感覚ですから、これを意識しないでは面白さは失われる。

自分のフィーリングを意識します。それで良いのか?ヨット先進国の欧米から押し寄せてきた波は、自分に合うのか?それが面白いのか?何が面白いのか?

雑誌のヨット取材の雑誌を見ても、どうも面白さは伝わらない。快適さばかり。セーリングだというと、すぐにレースを意識させる。もっと違う何か? 面白さが知りたい。どんなセールフィーリングをもたらすのか?まあ、難しい事ではありますが。

本日の暴言です。ご勘弁。

でも、本気じゃありません。そういうヨットが出てきたのは、大きな流れの必然でもあるでしょう。要はこちらがどう受け取るかの違いかなと思います。それに従っているうちは、その流れが続き、こちらの受け取り方が変わったら、流れも変わる。その一連の流れのプロセスでしかない。

では、今の状態をどう捉え、どう考えるか?それが、私の暴言であります。

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