第五十一話 気付いた事

TALKページでいろんな事を書いてきましたが、最近気付いた事は、ヨットを特別視して、ヨット遊びを特別だから、特別の何かをして、特別に楽しまなくては?と考える事が多すぎないか?という事です。

特別にするから、日常的な楽しみにできない。日常的にできる事に重きを置かない。特別だから、滅多にできない。特別だから、特別な事をしなければ。そう思いすぎる事はないでしょうか?

日本で、ヨット遊びが普通とは言えないかもしれませんが、一旦オーナーになってしまったら、もうそれはオーナーにとっては普通の事になり、普通の事なら、日常においていかに気楽に遊べるかと考えた方が良いのではないか?ピクニックで遊んで、それが日常的で、遠くに旅してみるのも良いが、しなくても良い。遠くに行く流れがいつか出てきたら、そうすれば良い。その程度の気楽さがあった方が、日常のピクニックを楽しめるのではないでしょうか?

年に1回とか2回とか、遠くに行くだけより、湾内から出た事が無いけど、しょっちゅう楽しんでいる。そういう方が、楽しめるのではないでしょうか?遠くに旅をしても良いのですが、あくまでピクニックが主とか、セーリングが主とか、日常的に簡単に出来ることを主に置いた方が、トータルとしては楽しめるのではないか。

簡単で、楽しい事は誰でも頻繁に行います。そうすれば、遠くに行かないでも、深さを知る事ができる。井の中の蛙、大海を知らず。でも、その深さを知るです。それでも良いと思うのですが。

頻繁に出れると、いろんな事を経験します。1回は短くとも、何度も出ますと、それなりの経験をします。良い時も、悪い時も含めて、たくさんの経験をします。それが良いんだろうと思います。

遠くへの旅を計画しても、良い事ばかりではありません。同じ事。それなら、そんないろんな遊びをしょっちゅうやれて、機会が来たら、旅もして、という方が良いような。旅に重きを置くか、日常のデイセーリングに重きをおくかの違いですが、特に、長期にわたって、どこかに行こうとする以外は、日常の遊びを重視した方が良いのではないかと思います。

ですから、ピクニックだ、デイセーリングだと言い続けてきました。いつでも出れて、何も特別な事が無い事も多い。しかし、気分は悪く有りません。快走してエキサイティングになる事もあります。
ちょっと沖でお弁当食べて、それだけの事もある。でも、乗って悪い気分にはなりません。しょっちゅう出れるなら、吹かないからと言って、ストレスも溜まりません。また、次があるからです。

人はいつでも出来る事は重視しませんが、滅多にできない事を重要視します。ところで、私、福岡の大宰府天満宮が近いのですが、滅多に行きません。でも、全国から大勢、毎日観光客が来る。
これと同じでしょうかね。近くに大きな公園もあります。これも滅多に行きませんが、行くと、あっちこっちから大勢来ています。近くの人は来ない。それでいて、遠くの公園に行ったりするんです。変な話です。見慣れた風景に興味は無いという事かもしれません。

ピクニックは見慣れた風景かもしれませんが、それでも、時々いろんな事を発見したりします。魚が群れて水面が盛り上がったり、ハンマーヘッドシャークにも出くわした事があります。風景は見ていません。海面を見ています。すると変化するし、セーリングなら、ざわついた海面に風を見ます。風は違うし、風が違えばセーリングも違う。そこに自分の腕も変化していくわけですから、セーリングはまた違う。そういう事に気付いたなら、案外、いろんな変化に気付きます。意識が遠くにあると気付きませんね。

ですから、ピクニックは楽しいし、セーリングしますと、面白い。何で、こんな簡単な事で、楽しめる事をしないのか?大きなヨットを持つ方は、マリーナに来ても、コクピットに座っておられる。出す気配はありません。来ない方も実に多い。デッキにフルカバーで、いつもその状態。それでも、ロープは傷むし、汚れもする。もっと気軽にピクニックをして楽しめばいいのにと思ってしまいます。それで、そのうち、行きたい所に行けば良い。

実は大きなヨットは出すのが大変なんですね。クルーが必要です。でも、遠くに旅をするなら、大きなヨットの方が楽なんですね。どっちを取るかです。そこの割り切りが難しいのかもしれません。ある方、自分はシングルハンドで日常的に楽しみ、遠くに行く時は人のに乗っていく。賢いですね。両方楽しめます。

でも、ここは考えどころですね。日常における非日常を気軽に楽しむか? 滅多に行かない遠くの旅を楽しむか?実際のところ、割り切るのは簡単では無いかもしれません。でも、ここを越える事で、今までには無いヨットライフが創造できると信じています。もっとピクニックをセーリングを気軽に楽しみませんか?

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