第三十七話 求めども

何を求めようとも、満足感はやがては沈んでいきます。たとえ、世界最高のヨットでセーリングしようとも、満足感が膨らみっぱなしという事は有り得ない。それが人間の寂しさであり、進化の源泉でもあります。

好きな音楽を聴いても、何度も聞いてますと、他の曲も聴きたくなります。どんなに感動しようとも、それはやがてはテンションが下がってきます。そんなもんですね。良いセーリングしても、それが永遠にグッドフィーリングが続くわけが無い。

それで、人は、違う場所に行きたくなるし、もっと遠くを目指したくなる。レーサーはもっと勝利の回数を求め、もっと違う大きなレースを求める。永遠に続けなければ満足度を満たす事ができません。セーリングにしても同様で、良い風に遭遇して快走を味わっても、永遠には続きません。それに、良い条件が揃う事の方が少ない。

でも、考えようによっては、変化が目の前で起こる事が良い。視点を変化において見ます。すると、その変化は何を追っているのか?異なる場所か、レースの順位か?セーリングなら、視点を目の前の変化に置く事によって、簡単にいろんな変化を味わう事ができます。変化があるからこそ、快走があり、だからこそ、感動もある。満足感もある。

セーリングにおいて、視点は風の変化、波の変化、そして自分の腕の変化、フィーリングの変化です。全部、今手元にあるものばかり。景色を見てたら、変化はあまりしない。でも、もっと近くを見ましたら、いろんな変化があります。そういう意味では、セーリングに視点をおきますと、これほど手軽で、変化のある遊びは無い。もし、セーリングに面白さが見出せないとしたら、それは視点がそこに無いからではないかと思います。セーリングしながらも、心ここにあらずではないかと思います。

もちろん、変化は良い事ばかりじゃありません。逆に良い事ばかりなら、それはまた飽きてくる。何とも人間は面倒くさい生き物です。でも、いろんな変化があるからこそ、快走のフィーリングが引き立つ。その為には、いろんな変化を味わう必要がある。そう思えば、ありとあらゆる変化を、どうだこうだ言わずに、味わうのが良い。ただ、そのまま変化を味わい、それも自分のセーリングのひとつとして受け入れる。拒否しない。嫌だと思わない。

集中すればする程に、小さな変化さえも感じられるようになる。環境の変化もありますが、最も重要な事は自分のセンサーがどれだけ働くかになるかもしれません。鋭敏になる事、その為には集中力、観察力が必要になり、それがあるから腕も必然的に上がり、さらに鋭敏になれる。

結局、面白いかどうか、それも長年に渡って、面白さを味わえるかどうかは、変化に視点を置き、どれだけ変化を受け入れる事ができるかになると思います。本当は同じ場所にクルージングに行くにしても、毎回全く同じという事は有り得ないわけですが、どうしても、視点が、誰と行くかとか、行き先の場所とかになりますので、変化があまり感じられなくなります。でも、本当は変化しています。

変化を最も見つけやすく、集中しやすくなるのがセーリングだろうと思います。セーリングをするに当たって、誰もが快走を求めますが、ここは視点を変えて、変化を見るという事にしたらどうかと思います。ある特定の何かにだけ集中するのでは無く、今日はどんなセーリングで、どんな変化なのだろうという具合です。良い事だけを求めるのが常ですが、それだと良く無い事の方が多い事に気付くばかり。良い、悪いでは無く、どんなセーリングかという変化に視点を置けば、セーリングは変化の連続です。トータルで面白さを味わうには、その方が良いような。

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