第八十二話 面白いヨット

旅に出れば、強風に合う。大波をくらう事もあるかもしれない。でも、その事が、旅の目的地に着いた時には、どれだけ嬉しいでしょう。順風で、何事も無く、すんなり目的地に着いたら、到着の喜びもそれなりであります。でも、長い旅であればある程、いろんな事がありますから、それがヨットの面白さという事になります。

セーリングをしますと、技術的なアプローチがあります。ヒール角度、風速、それに対するセールトリミング、そして舵さばき。そういう技術的なアプローチが面白さになると思います。もし、いつも、同じような風で、波も無く、変わらないとしたら、技術的アプローチの面白さは失われてしまいます。

レースに参加します。もし、自分のヨットが最も速く、乗員の技術レベルも最も高いとするなら、いつも勝利を手にします。勝負は最初からついています。間違いなく勝てます。でも、実際は、レベルが拮抗し、勝ったり、負けたり、嬉しかったり、悔しかったり、ちょっとしした小さなミスが、拮抗したレベルの中では、負けを意味する事になります。

つまり、いろんな事が混ぜ合わさっている状態があるからこそ、我々は遊ぶ事ができるという事になると思います。あるひとつの状態では、遊ぶ事ができなくなります。レースでひとつのミスも無いように、緊張感を保ち続ける。強風に見まわれて、恐怖感を味わう。反面、他を抜き、強風がやみ、ほっと安心したり、喜びを感じたり。

面白い感覚というのは、いろんな感覚を受け入れる事になります。悔しさも恐怖感も退屈感も、そういう感覚にどっぷり浸かるのでは無く、ゲームとして遊ぶいちプロセスに過ぎないと受け留める事が、面白さを遊ぶ秘訣ではないかな〜と思います。もう二度とあの悔しさ、あの恐怖感は嫌だと、強く思ってしまうと、ゲームにはなりません。やればやっぱりある。あらゆるフィーリングを受け留めて、ゲームして、面白がる。ゲームですから面白いんです。

我々は時に絶対条件を設定してしまいます。セーリングに気持ち良さ、爽やかさを見ます。しかし、それだけならちっとも面白く無いわけです。絶対条件が無いところに、絶対条件を望んで行動しますとゲームにはなりません。それでは面白さが解らない。こういう場合、良いか悪いかのふたつに分けて考えてしまう。そして、冷静に考えれば、悪い方が多い。

従って、ゲーム化して面白さを味わうには、絶対条件を設定せずに、来る状態に調整しながら、不安定さを面白がる事が必要になると思います。そのゲームをより面白くする為に、技術を高める練習をします。技術が高い方が、いろんな条件に、より対応する事ができますから、その分、より多く遊ぶ事ができます。技術が高まれば、昨日の恐怖が、今日の面白さに変化します。

ですから、旅をする人も、セーリングを遊ぶ人も、レースをする人も、その分野で必要な技術、知識を得るという事は、より楽しめる事になりますから、そうやって10年、20年と遊ぶ事になります。幸い、ヨットというのは、やればやるだけ奥が深いと言われます。だからこそ長年において続ける事ができる。一生、遊べます。

何故、奥が深いのか?それは絶対条件が無いからでしょう。波が変わる。風が変わる。日替わりどころか、瞬時に変わる。それに、自分のヨットと他人のヨットでは違うし、自分の腕も変わる。この複雑な組み合わせが、ヨットを奥の深いものにしています。だから、いろんな事があり、だから面白いという事になります。

もし、舗装された道路のように、波が全く無くなったらどうでしょうか?風がいつも10ノット一定で、風向の変化も無くなったらどうでしょうか?これを遊べるのは一瞬になり、ヨットの奥深さも無くなり、多分、ワンシーズンも乗れるかどうか?

そこで、クールに考えます。どっぷり浸からないで、クールにゲーム化し、ゲームの流れを面白がる。旅でもセーリングでもレースでも同じではないでしょうか?ゲームとして、自分の腕の成長、感覚の成長を楽しむ事ができれば、これはきっと面白いのではないか?

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