第十話 思考停止 

考えて見ますと、感動したり、楽しかったりする時というのは、何も考えない時ではないでしょうか?全ての理屈を排除しつつ、何かを感じる。その時こそ、心が動くのかもしれません。いつも何かを考え、熟慮する事を良しとするのが常識ですが、究極は何も考えない時。そこに思考を超えた感動がある。

という事は、考えない時間を作るという事がその近道かもしれません。全く考えないという事は無理ですが、いろいろ考えて、セーリングに入ったら、できるだけ神経を感覚に集中させて、後は何も考えない。できるだけ考えない方が良いかも。

一切、何も考えずにセーリングができたら、多分、もっといろんな感じが解るのではないかと想像します。過去を思えば、グッドフィーリングを得た時はそんな時。その瞬間は何も考えてい無い。そうしますと、思考にも二面性がある。思考は必要ですが、思考ばかりでは楽しめない。思考して、準備が整ったら、後はできるだけ考えないという事が楽しむコツなのかもしれませんね〜?思考は邪魔になる。

同じ海域で、同じヨットで、同じようにセールを展開すると、慣れてきて、あまり考える必要性が無くなるかもしれません。そこに飽きてくるか、或いは、別な何かを発見するか?それでも、神経が集中できるのなら、思考停止状態で、感覚に集中する事ができる。

幸いにも、風が一定ではありませんから、変化は常にある。その変化に集中できるようになる。そうしますと思考は邪魔ものでもありますね。ただ、感じるだけのセーリングができるのなら、きっと面白さも増えてくるのではないかと想像します。ここにもデイセーリングの可能性があるような気がします。

何ノットスピードが出ている。のぼり角度何度だ、云々と考えるのも楽しさのひとつではあります。でも、これらを越えた感動に達するには、これらの思考が一切排除された時ではないか?こういう事をちょっと意識しておいても悪くは無い。

思考して、セール形状を見て、調整をする。そして思考停止。そして、また思考して変化に合わせる。また思考停止。思考を停止すれば自ずと感覚が研ぎ澄まされる。するとわずかな変化さえも感じる事ができるようになる。変化を感じる事ができるからこそ、面白さが湧き出す。思考を停止すれば、きっと何かが違ってくるのではないか?

セーリングを覚えたての頃は、いろいろ考える。理屈を考えます。試行錯誤します。上手くなってきたら、考える必要性が少し少なくなる。最初の頃は、新しいものを覚える面白さ、知識が増える面白さ。うまくなったら、きっとそれを越えた感覚の面白さに移行できる。本当はみんなそうやっているのだろうと思いますが、それを敢えて意識して、思考停止を意識して、つまりこれは感覚に集中してみる。きっとこれはデイセーリングの究極の乗り方ではないか???

うまくなったら、是非そうしてみたい。うまくならなくても、是非そういう思考停止を少しでも取ってみたい。さて、どうなるか?意識的にそうする事で、何か面白さに変化はあるだろうか?これもデイセーリングの、特にシングルハンドでのセーリングに良いかもしれません。感覚遊びを楽しむのがデイセーリングかと思います。

これはセーリングするという意図はありますが、こうあってほしいという考えは無い。よって、向こうからやってくる偶然を楽しむということになり、どんな偶然が来るのかを楽しむ事になる。自分の思考は良いもの、悪いものがあり、思考が無いとそれらが無い。どんな偶然がやってくるのかという事になります。思考すると、偶然に翻弄される事もあり、思考が停止すると、偶然を遊ぶ事ができる?良く解りませんが?

でも、一生懸命動かしているうちは、本当に楽しむという次元とはちょっと違うような。それを越えた時にこそ、楽しさがあるような。例えば、楽器を練習していて、上手くなって、自分で自分の演奏を楽しめるとか、そういう事と同じにならないか?もしそうなら、楽器もヨットも同じという事になります。楽器もヨットも道具としますと、最初は演奏の仕方、操船の仕方を覚えます。これはこれで面白いものです。やがて、少し苦労する事もあります。苦心する事もある。ある程度弾けると、操船できると、ちょっと嬉しい。でも、そのもっと先に行けば、また新たな世界がある。自分が悦に入る事もある。そんな事ができれば、自由が手に入る。楽器をヨットをおもちゃにできる。そうなれるかどうかは別にしても、できればそこまで行きたい。簡単では無いが、それを目指せば、きっと何かがある。何かができるというのは嬉しいものです。一朝一夕には行かない。でも、10年、20年という時間がある。あこがれでもあります。

思考停止のメリットは、多分、感覚が鋭敏になるという事でしょう。鋭敏になれば、ただセーリングしているのとは違います。思考は理屈が解る。感覚は状態が解る。両方解れば、相乗効果も生まれる。また、理想的な理屈は多分誰が乗っても同じになるでしょう。それも難しいのですが、でも、感性のセーリングは各人様々でしょう。そういうセーリングの醍醐味もある。セーリングを利用して他の遊びをするも良いが、セーリングそのものを遊ぶのも良いものではないでしょうか。

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