第九十五話 難しい?

ヨットを動かすのは簡単だけど、セーリングは難しい?いやいや、そんな事はありません。難しいと感じるとしたら、それはセーリングを拒否している時でしょう。どうなっているのかな?と面白がって、探っていく時、難しいとは思わない。考えない。面白いし、奥が深いと言う。難しいと思った時は、拒否し始めた時かもしれません。難しいから、もう進みたくないという気持ちがじわじわ湧いてきているかもしれません。本当はそうじゃない。

セーリングが難しいかどうか?セーリングはセーリングであって、難しい事も簡単な事も無い。ただ、セーリングがそこにあるだけであります。ですから、難しいとか思い始めたら、要注意です。無意識の内に、拒否しようという兆候の現れです。そうでは無くて、もっと解き明かしてやろうと思う事が、面白さを深めるコツではないでしょうか?

数学の問題を解く。ああでも無い、こうでも無い。う〜ん、難しいとつい思ってしまいます。でも、気を取り直して、もう一度挑戦して、ちょっとでも解りかけたら、面白さが湧いてきます。それと同じで、難しいと思い始めたら、気を取り直して、その謎を解き明かす事にすぐに挑戦してみる事かと思います。すると、何かの光がかすかに感じたら、そこから面白さが噴き出してくる。要は、難しいと感じた瞬間のあり方、考え方かもしれません。それができなければ、難しいは難しいで終わってしまう事になります。

この突破口は、やはり好きかどうか?この原動力は非常に大きい。何をするにしても、本当に楽しむには、やはり何らかの壁を乗り越えていかなければ物にはならない。そこを乗り越える原動力は好きだという理屈でも何でも無い感情が、後押しをする。難しい事を難しいままにしておくかどうか、ここが一番のポイントではないかと思います。それさえ超えられれば、しっくり感が出てくるし、面白さも出てくるのではないかと思います。

難しいと感じる壁の大きさの問題。大きいと感じれば感じる程、乗り越えるのは難しくなる。本当の難しさよりも、感じ方の問題かとも思います。それには、難しいと感じた時に、すぐに一旦中止して、違う事に頭を切り替える。そして時を置いて、もう一度じっくりとりかかるのが良いかもしれません。難しいと感じる事をいつまでも難しいと考えていては、どうにもならない。下手するとそこに留まってしまうかもしれない。それでは、何事も物にならないので、頭を切り替える必要があります。どうやって超えるかに集中して、難しさを考えない事かもしれません。謎解きゲームでもしているつもりで。

セーリングは難しいとは一般論。難しいと感じ無くても、奥を探ると深い事が解る。深いだけであって、難しいわけでは無い。深い分、それだけ長く遊ぶ事ができる。天才が1年でマスターするかもしれませんが、我々凡人なら20年かかって遊ぶ事もできる。どっちが得なんでしょうか?こういう時はどうしたら良いんだろうか?と考えても良いが、難しいとは考えないようにしたいもんです。これさえ乗り切れば、もっと面白くなりそうだ。そう思っていけば、いつまでも面白く遊ぶ事ができます。
快がどこにあるのか?どうしたら快を得られるか?ポイントはそこに尽きると思います。

どういうわけか、ある時すんなりできるようになる時があります。しっくり感が感じられる時があります。それで一歩前進、壁が厚い程、停滞の時間は長いかもしれませんが、全く進歩していないように見える時もありますが、それも、いつかはすんなり通り過ぎれる事が必ず出てくる。何かを物にするというような事は、こういう事の繰り返しなのかと思います。スムース過ぎる時は、レベルがまだ初歩の時、レベルが上がれば上がる程、壁も厚くなりますが、こういう時は高いレベルに挑戦している事になります。それが過ぎると、また一段上のレベルに上がれる。どんなに簡単に思える事であっても、深くなればなる程、難しさは増す。それが無いのなら、挑戦する意味もあまりありませんし、それに対する快もあまり無い。これを超えるか否かが、人によって違ってきます。難しいはレベルの高い面白さと言いかえる事もできます。

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