第七十七話 セーリングは技術

野球を楽しむにも技術が必要です。カーブをどうやって投げるか、そのコントロールは?どうやって、そのカーブを打つか?ただ、投げて、打って、走るというだけでもゲームを楽しむ事はできますが、長い年月の間には、やはり少し技術向上を図ろうとするのが我々の常であります。何も、全てをという事では無く、何種類もの変化球を投げようとか言うのでは無く、ひとつでも良いから、投げれると、ぐんと面白さが変わってくる。

テニスもしかり、うまくバックハンドで打ち返せる、ドライブがかかった球が打てる、マラソンなら、時間が短縮した、何でもそうですが、ほんのちょっとした向上が、自分の世界を押し広げる。それが面白さだろうと思います。

セーリングには技術が必要です。基本的な舵操作とジブシート、メインシート操作だけでもセーリングは十分可能であります。しかし、それはテニスで言うなら、互いに打ち返す事ができる。野球で言うなら、投げて、打って、走って、マラソンなら完走できる。そういう事でしょうか。もちろん、それでもすごい事で、楽しめますし、面白いのですが、そこにほんの少しの向上をもたらす事で、味付けはぐんと変わってしまうのではないでしょうか?

セーリング技術、今持っている技術にひとつ何かを加えて、味付けをしてみてはどうでしょうか?例えば、メインシートトラベラーをもっと使うというのはどうでしょうか?伊達についてるわけでは無く、それなりの理由があって、あった方が良いからついてるわけですから、それを使って、少しセーリングに向上を意図してみたらどうでしょうか?そういう習慣を持つという事は、この先長く遊ぶには重要な事かと思います。

或いは、ジェノアトラックに、コクピットからブロックを前後移動できるロープを設置して、その操作をいろいろやってみます。すると、ジェノアのリーチを開いたり、閉じたり、別な事をやるわけですが、それでひとつ向上です。

バックステーアジャスターが無いのなら、それを設置して使ってみてはどうでしょうか?ドラフトコントロールができるようになる。

ひとつ何かを意図しますと、そこに何かの変化があり、その変化に気がつきます。すると、これはどういう意味なのか、どうしたら良いのかと深まっていきます。ちょっとした事なのに、自分の中には大きな変化が現れる。

そこから派生して、もっと違う事にも何とかしようとか考えるかもしれません。カーブが投げれたから、今度はシュート?そういう風にして、面白さはどんどん進化していきます。逆に言うと、技術が必要な事というのは、技術を習得する度に、段階が上がり、そうやって面白くなるものかと思います。技術を習得しなくなった時、それは外部に目が行く時かと思います。それが悪いわけではありませんが、外部に頼り始めると、ストレスが溜まりだす。それは外部に変化を求めるからで、なかなか思うような変化にはならない事が多い。

セーリングを一生遊ぶには、やはり技術の習得、否、技術の向上が必要かと思います。その方が面白いから。そうやって数年過ごしてきたとしたら、何となくセーリングしているより、遥かに何かが違ってくると思います。

人生は一生勉強だ、とか言いますが、遊びも人生なら、ここにも学びが必要でしょう。享楽的な遊びも楽しいのでおおいにやりたいが、それだけでは人生は面白くない。面白さは学びも同時進行ではないかと思います。気持ちがわくわくする感じは、いくつになっても味わいたい気分です。

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