第七十一話 諸行無常

全ては常に変化する。何事も変わらないものは無いとか言われます。ならば、我々が追い求める事、何か固定的なものは無い事になりますね。良い風を求めて、セーリングに出る。一瞬たりとも、同じでは無く、変化している。明日はもちろん違っています。という事は、我々はこの変化を楽しむというやり方が最もあっているという事になります。固定的で絶対面白いというのが無い限り、我々は変化を楽しむしか方法は無い事になります。

最高のセーリングを求めつつも、その固定的なセーリングは変化してしまうのですから、その一瞬の事のみを楽しむには、あまりにも短すぎます。それなら、変化そのものをそのまま楽しむという姿勢が、最もセーリングを楽しむ事ができる最良の方法という事になりますね。

そういう気持ちで事にあたることができるようになったら、マリーナに来て、どんな状況でも楽しむ、否、少なくとも受け入れる事はできるようになりますね。文句言う必要が無くなる。雨が降ってきた、風が強い或いは無い。何でもそのまま受け入れる。そんな坊さんのような心境?

凡人にはそれができません。やっぱり、何か面白い事はないかと探します。それが一瞬の事であっても、面白い何かを求めます。でも、できるだけ、雨が降っても文句は言わないようにしよう。少なくとも自然の変化には文句は言うまい。文句を言っても仕方が無い。自然には逆らえません。

それで、変化はあるものだという前提に立つなら、いろんな変化にもできるだけ対応できるようにしよう。それが出来たら、楽しみの範囲は広くなります。それしか手が無い。いろんな変化があるから、対応能力が少ないなら、楽しみも稀になります。しかし、対応能力が高まれば、その幅は広がる。楽しさが広がる事になります。

その最高の方法はやっぱりシングルという事になるんでしょうね。大きなヨットを持っていても、シングルで乗れないとしたら?小さなヨットだけれでもシングルで乗れるとしたら?どっちがより対応能力が高いでしょうか?大きなヨットは大人数乗った時の対応能力は高い。波に対する対応能力も高い。でも、乗らなきゃそんな対応能力は意味が無い。乗れるなら良い。どんなに大きくても良い。それで、いつでも自由自在に動かせるなら良い。

それで、大きなヨットには、誰かひとり相棒を見つける事だと思います。それで、対応能力はぐんと上がる。でも、相棒がい無いと対応能力は極端に下がる。でも仕方無いんですね。この場合、通常のクルージングという意味ではありません。セーリングを意味しています。セーリングならもうひとりほしい。 

キャビンに変化は無い。否、本当はあるのですが、気がつかない。セーリングには変化がある。変化だらけです。その大いなる変化をつまみ食いしながら、どこまで味わう事ができるのか?あらゆる状況に対応できる腕を磨くのもひとつ、あらゆる変化を感じ取る能力を磨くのもひとつ。必ず変化するわけですから、どんな具合に変化していき、どう対応し、それに連れて自分の感覚もどう変化していいくのか?そんな変化自体を楽しもうとするならば、きっと良いヨットライフになるのかもしれませんね。諸行無常とは良く言ったもんだ。

まあ、そんな事より、気が向いたらさらっと出して、その日のセーリングを味わってくる。シングルならではの所業であります。何か面白い事を求めつつも、これに固執するわけでは無い。さらりと味わい、長い、大きな変化の一部として、ただ味わう?ん〜、何か坊さんのような?
凡人なのでそうは行きません。面白い事を想像し、創造しながら、どんどん求めて、そして出会った物、事、をできるだけ楽しむ事を心がけたい。

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