第四十三話 心

全ては心を満たす為に、考え、行動し、物を手に入れる。これらは全て手段であり、目的は心を満たす事であります。温水が出たら、冬は暖かくで、良いなと思います。それも温水は手段であり、良いなと思う心を満たす事が目的になります。

細かい部分について、細かく考えます。広さ、温水、ドジャー、ビミニ、便利グッズ等々、それらのひとつひとつがもたらすであろう、良い気分を考えます。しかし、これらはヨットのメインテーマでは無いと思います。もっと、全体で考えてみたらどうでしょうか?ヨット全体をひとつとして、そのヨットから、どんな良い気分を最も味わいたいのか?何が気分を良くしてくれるのか?そこを押さえておかなければ、各部の細かい良い気持ちは、気休めでしかなくなるのではないでしょうか?

各部の細かい部分はさておいて、このヨットから一体何を得たいのか?そこが最も重要なテーマです。レースに出て勝ちたいのか?旅に出たいのか?クルージングと言ってもどんなクルージングなのか?誰と行くのか?セーリング自体を遊びたいのか?具体的に自分のヨットライフはどんななのか? それさえきちんと明確にあるなら、後の事はそれほど重要では無い。メインテーマを支える補助的なものに過ぎません。

本当は、多くの場合、そこまで具体的には考えていないようです。ヨットで旅が出来たら良いな、と思う程度です。これにしても、外洋に行くのと、そこらの沿岸の旅とでは違いますね。多くのクルージングの場合は、沿岸の旅です。今ほど、簡単に旅ができる事はかつて無かった。いろんな情報があり、GPSがあり、その気になれば、すぐに行けます。でも、なかなかそうは行かない。

クルージングと言っても、いろいろあるわけですが、できる限りどんなクルージングをしたいのかを考える必要があります。ただ、クルージングをしたいかと言って、クルージング艇と称するヨットを手に入れる。でも、実際は、年に一回とか2回とかのクルージングで良いとするなら、後の三百何十日はどうするのか?日本一周したいと考えた場合でも、手に入れたヨットで、数年のうちにするのか?或いは、いつか?なのか?

往々にして、日常の使い方は考えていないのが普通ではないかと思います。イベント的に考えはしますが、ヨットは一旦手に入れてしまえば、毎日、そこにヨットはあるわけです。決して、毎日ヨットに乗るわけでは無いが、あまりにも、ほったらかしもどうか?

数年以内に外洋の旅に出たいと考えて、今そのヨットを手に入れ、今から準備していくというのは良く分かりますが、いつかは?という場合、いつ行けるようになるかも解らない場合は、先々はその時として、今使えるヨットで遊んでいた方が、確実に将来の夢には近づけるのではないでしょうか?行けるようになった時、外洋艇に買い換える方が良いと思います。それまでに近場かもしれないが遊んできた経験は、決して無駄では無いと思います。今、外洋艇を買って、今は乗れないでほっとく方がはるかに無駄であります。ほっとくと、傷みも早い。

それで、今の心を満たしましょう。将来では無く、将来に繋がる今の心です。ヨットで何をしたいのか、何ができるのか、どんなフィーリングを得たいのか?そのメインテーマをしっかり押さえておく必要があります。イベントだけでは無く、日常にあるヨットとして。どんな使い方をしたら、最も面白いか?そこをしっかり押さえたうえで、他の装備も考える。日常的な遊び方が面白ければ、今はそれが最も相応しい。5年後、10年後、将来はその時考えれば良い。心は未来の事を夢見れば楽しいかもしれません。しかし、想像だけです。想像している時だけの妄想に過ぎない。単なるあこがれであります。それより、今の現実に、ヨットに乗り、風を感じている方が遥かに心は満たされるのではないでしょうか?その延長上に、将来の夢がある。でも、今は今です。将来は想像であり、今は現実です。その現実を面白くする方が、遥かに未来の夢も叶うのではないかと思う次第です。

意識はいろんな事を考えますが、心では違う事を感じている事があります。意識は常識とか、見栄とか、いろんな事を総合して考えますが、時にはそれが本音かと勘違いさえしてしまう。ヨットに乗るなら、やはり遠くへ旅しないとと思うかもしれません。それがヨットの醍醐味かと。でも、心は違うかもしれません。心は、意識的に考える事とは別な感じを得ているかもしれません。それを知るには、やはり普段から、自分の感覚をそのまま意識し、何を感じているかを観察できると解るような。

湾内から出た事が無い。それがどうした?セーリングしてそれを楽しんでいるなら、無理に出る必要も無い。出たいと考えた時では無く、でたいと感じた時に出れば良い。遠くに行くのが仕事ならいざ知らず、楽しむのが遊びですから、自分の本音の部分で、したい事をする。つまり、出来る限り、意識と心のギャップを無くすようにした方が、楽しめるはずである。心は意識に近づかないので、意識を心に近づける。それには、意識的に、何を感じているのかを観察する事で、それができるようになるのかもしれません。

自分自身の事なのに、自分の心さえ解らない。人間は不思議なものです。それは頭脳が離れていったからでしょう。そのギャップが大きくなればなる程、ストレスも大きくなる。遊びは、このギャップをできるだけ小さくすると良いのではないか?それが遊びの効用でもあり、人間には欠かせないものでもある。遊びにもギャップを造ってしまうと、一体どこで安らぎを得るのか?だから、レースも旅も無い。キャビンもセーリングも無い。ただ、心の赴くままに。

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