第四十一話 有難い話

考えてみれば、世界中で、いろんな人が、いろんなヨットを造っています。そのお陰で、その中から、自分の好きなヨットを選ぶ事ができます。我々業者は、造る人が居て、購入される方がおられて、それで生活できます。実は、もちつもたれつの関係の中に、全員が居る事になります。それだけでは無く、建造されたヨットを運ぶ人も居て、まさかの時には保険会社があって、保管するマリーナがあって、遊べる海がある。ひとつでも欠ければ成り立たない。完璧でありますね。

もっと広げれば、ヨットだって造船所だけの力では無く、デザイナーも居るし、ウィンチを造るメーカー、マスト、セール、各艤装品メーカー、実に多くの人達の手を経ています。それぞれが、仕事として成り立ち、また、最終オーナーもまた、別な所では、作り手であったり、運んだり、いろんな分野で、もちつもたれつの関係の輪の中に居ます。考えてみれば社会はそうやって成り立つわけで、実に有難い事であります。

それらの、もちつもたれつの輪の中をお金というものが循環しています。という事は、お金が循環しないと、この社会は成り立たない事になります。言わば、お金は血液のようなもの。どこかでストップしますと、病気になる。それが不況という病気。経済の病気であります。

みんなが節約に走った時、循環がスムースでは無くなる。血液が不足しているわけでは無い。でも、どこかで滞留している。そこで政府は輸血をする。どこかで滞留している血液を流す方向さえあれば、輸血する必要も無いのだが、それは強制されるものでも無い。

資本主義の生命は発展、拡大にある。健全な経済取引において作り出されるお金が正常に循環するようにするのが政府の仕事。そして日本には、十分過ぎるほどの血液もある。という事は、ほんのちょっとの事で、この滞留さえ、少し改善するだけで、経済は流れ出すのではなかろうか?そして、うまくいけば、みんなが少し、あくせくばかりせずに、少しゆとりのある生活を求めたとしても、十分すぎるぐらいの血液がある。このほんの少しの何か?これが言うほど簡単では無いのかもしれませんが、これができないなら、これが資本主義の限界なのでしょうか?循環さえ正常なら、多少のマイナス成長になっても、たいした事は無いはず。むしろ、マイナスにはならないかもしれません。

まあ、この事はプロの政治家にお任せするにしても、無駄な資源を浪費する事は良く無いが、環境を十分に配慮しても、それでも循環さえうまく行けば、何て事は無い?循環は稼ぎ、使う事。もらって、次の人に渡す事。そういう意味では節約は良い事なのか?

何だかんだ言っても、やるのは人間、動くのは人間ですから、全ては人間の心理による。株も為替も、政治も、経済も、みんな人間の心理に基づく。政治家は心理学のプロでなければならないのかもしれません。そして、我々一般は、循環の輪の中の構成員、互いに助け合っている事実、ひとつでも欠ければ、循環できない事実、そういう事をもっと意識しなければならないのかもしれません。資本主義が限界にきつつある。これは、悪い事では無く、次のステップへ移行するきっかけなのかもしれません。

そうしますと、次の世代は、もっと良くなるのかもしれません。そうあってほしいものです。政治が半強制的に循環を促す方策もあるかもしれませんが、一方で、我々も、その循環がスムースに行くような、魅力ある何かを生み出す必要がある。全ての人間が生活する最低限の中にあるわけでは無く、豊かになったのなら、その豊かさに見合う何かの魅力を発して、循環を流れさせなければならない。それが構成員である我々の役目。さて、どうしたもんでしょうか?

マリーン業界は不況業種?今はそうかもしれません。しかし、これだけ海がある。土壌はある。後は心理学の問題でしょう。ヨットの魅力をもっともっと広げなければならない。人は魅力に誘われて行動しますから、循環の輪の各部が、もっと魅力を発信し、健全であり、滞留をさせない。一部に滞留するのは不健康なわけです。逆に言うと、滞留するのは魅力が無いという事にもなります。
さて、どうしたもんか?

人は何に魅力を感じるのでしょうか?その最大のものは、美しさではないでしょうか?見た目の美しさ、動きの美しさ、スタイルの美しさ、考え方、機能美、いろいろあるでしょう。美しいものは発展する。あれば良いというわけでも無いし、使えれば良いというわけでも無い。そこに美しさが必要です。食べ物だって美食と言います。人は美しさに惹かれる。場合によっては、多少難があっても、美しさを優先する事もあります。本来の機能を損なうようでは困りますが。

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