第三十一話 漂うセーリング

海に出れば気持ちが良い。陸の上で、いろんな活動をしていますが、それらを全て切り捨てて、海に出れば、別世界。エンジンを切れば、騒音は無くなり、感じる世界が広がります。そんな事が他にあるでしょうか?気軽にさっと出せれば、簡単にそういう世界を手にする事ができます。

海に出ても、やれ、舵だ、セールだ、トリミング、タック、いろいろする事はある。しかし、する事の他に、こんなに感じる事の多い世界はそうは無い。考える葦だと言った人が居ますが、人間は感じる動物であります。感じる事が大切なのだと思います。ただ、漂っているような時でも、場合によっては、癒される事だってあります。

大切な事は、いちいち場面を良いと悪いに分けないで、そのままを感じて、味わう事ではないかと思います。それ一回きりのセーリングじゃ無いわけですし、こんな時もあるぐらいの余裕を持ちたいものです。エンジンを駆けてさっと帰る手もありますが、しばらく漂う感じを味わってみるのも、悪く無いかもしれません。急ぐ旅じゃ無し。ここには、普段考える効率も無い。時間も無い。ただ、感じる事ができる世界かもしれません。

そう言えば、この感じる事が疎んじられてきたような気がします。いかに速くか、いかに効率良くとか、より多くの結果とか、そういう事ばかりを追いかける。感じなどは2の次。今の世の中、当然の事でありますが、だからこそ、一方では、無になる事、感覚重視が人を蘇らせる。

忙しい中をぬって、温泉に行く。何時にどこ、お風呂に入って、ご馳走食べて、飲んで、当たり前の事としてスケジュールを組みます。でも、内容は違えども、同じ事をしています。そこで、時間の無い世界、感覚の世界にどっぷりつかってみる。たった2時間、3時間かもしれませんが、風の吹くまま気の向くまま、それがどんな感じなのか?

たまには、漂ってみるのも悪く無いような気がします。風が無い時は仕方無い。今日はそういう日なのだという事で。

誰も、風に本気で文句を言う人は居ません。自然の事ですから仕方無い、受け入れるしか無い。だからこそ、諦める事ができる。諦めたら、エンジンを駆けて、急いで帰る前に、ちょっと漂ってみましょう。人工の中で遊んでいるならこうは行きません。文句のひとつも言って、何とかしろと怒鳴ってしまう。怒鳴った途端にストレスゲージが高くなる。諦める事は受け入れる事。自然相手だからこそできる事です。

陸上の生活スタイルを控えて、セーリングする時は、気持ちは完全に自然の中に入るようにシフトする。そうすると、諦めて、受け入れる事がスムースになる。今日はこんな感じなのです。ストレスゲージはぐんと下がって、快走ではないにしろ、平和な気分ではないでしょうか?海に来ているのは、その為でもある。

自然相手に、陸上の効率を求める事はできません。求めるなら少なくともパワーボートの方がいい。でも、敢えてセーリングするのは、快走を求めはしますが、それだけ求めては、ストレスは溜まります。やはり、いろんな状況があるわけですから、今日のセーリングは、今日の自然として、そのまま受け入れるのが最も健全なのでは無いでしょうか?快走を求める事は悪いわけじゃないが、それと一緒にやってくる、強風も微風も無風だって受け入れなければ、本当に全体を楽しむ事はできなくなるのかもしれません。

海にでたら、諦めましょう。風の吹くままであります。吹かないままでもあります。それもセーリング。あれもセーリング。快走ばかりでは、セーリングの半分も解らないのかもしれません。そう思えば、漂ってみるのも悪く無い。

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