第二十九話 意味づけ

仕事にしろ、遊びにしろ、意味の無い事に情熱を傾ける人はい無い。昔聞いた話ですが、懲罰的な意味あいで、穴を掘らされる。掘ったら、今度は即座に埋める。そして、また穴を掘る。そういうのを聞いた事があります。穴を掘る事には何の意味も無いわけですから、これが非常に辛いそうです。意味さえあれば、頑張る事もできるが、この場合、掘ったらすぐに埋めてしまうわけですから、辛いわけです。それでも、人は何らかの意味付けを考えようとします。どれだけきれいな円の穴を掘れるか?とか、そういう意味を考える事で、自分を守ろうとするのでしょう。

人にとって、今している事、過去や未来の行為も、何らかの意味を持つ事で、心のバランスを取るのが、必要なのだと思います。意味を見出せないと続けられないし、それが仕事になりますと、辛くなる。意味さえ見出せば、自分が納得できる意味なら、さらに頑張る事だってできる。

それで、本題です。レースでも無い、クルージングでも無い、ただのセーリングに意味があるのか?どんな意味を持つ事ができるのか?それが明確なら、これは面白くてたまらなくなります。人は何にしても、何らかの意味を自分で見出した時、充実感を覚え、そこに進む事ができる。

究極の目的、意味は、誰かと分かち合う事なのではないかと思います。かみさんでも良いし、子供、孫、友人、誰かと一緒にセーリングして、その感覚、自分が得た感覚を分かち合う事。或いは、だれかに話、会話を持つ事もそうでしょう。それが究極の意味を持つのではないかと思います。但し、だからと言って、いつも誰かを誘って、その意味を実行しても、たいした感動も無い。

究極の目的を充分に充実したものにする為には、その前提が必要になる。やっかいなものです。それが日常の自分独自のチャレンジなのではないでしょうか?その両方をバランス良く、配置していく事で、面白さ、楽しさが増幅していくのではないかと思います。従って、普段シングルハンドでセーリングされる方は、セーリングにチャレンジして、試行錯誤して、自分のスタイルを見出し、腕を挙げ、繊細な感性を育て、観察力を持ち、集中力を養う。そこには、自分の上達があり、感動がある。そうやって、ひとつのある段階を得たら、誰かを誘って、それを分かつ。そして、また次のチャレンジに進む。レースに参加するのも、同じ意味あいがある。一緒には乗っていなくても、参加艇同士で分かつ事ができます。勝つ、負けるというレースの大前提以外にも、何らかの意味合いを見つける事ができるかもしれません。

それで、普段のセーリングにおいて、意味を持つという事は、究極の目的はさておいて、今は自分のチャレンジにテーマを持つ事が必要かもしれません。大袈裟な感じがしてきましたが、小さな事でも何でも良いわけで、たとえば、いかに真っ直ぐ効率良く走る事ができるか?ヨットは、実は殆どは真っ直ぐ走っているだけですね。コース変更時以外は真っ直ぐです。それじゃあ、舵操作で真っ直ぐ走る事が必要です。その上で、セール操作が必要になります。このコースで、いかに速く、真っ直ぐ走れるか?あらゆる角度の風と強さがあるわけですが、そこをどこまで追求していくかがチャレンジなのだと思います。見た目にはいつも同じコースであっても、質を問えば、違ってきます。
そこに意味を見出せば、チャンレジは続く。そうやって、日常を過ごした時、ある時、奥さんを誘ってセーリングする時、きっと違う感じがまたしてくると思います。この時は分かつ事、遊びが主であって良いわけで、気分が違ってくるのではないかと思う次第です。

勝ってに意味づけして、勝ってに遊ぶ。誰かに意味づけしてもらっても面白く無いので、自分勝手にやる。創造力が必要かもしれませんね。遊ぶというのは、創造力次第かもしれません。 意味づけは自分の中から創造されたものでなければならない。それが面白さとして感じられるのではないでしょうか?

日本一周はすごい事です。ですが、それが自分の中から本当に出てこないと、面白さもたいして高いレベルに行かず、これを達成するのは、ある意味苦しさが伴う。他人から出た意味では、意味が無い。自分から、こうしよう、これはどうなってる、等々の意味が出てきますと、それが面白さとして
動機付けになるし、行為は難しいけれども苦しみは少なく、難しいからこそチャレンジしがいがあると思える。

デイセーリングのセーリングは、うまくなる事。最小限の動きで、滑らかに走れるようになす事。そこから来る良い感じを味わう事でしょう。良い感じを得てきたら、誰かと話す。誰かを誘う。そうやって分かち合う事で、また次のステップへのアクセルになるのではないでしょうか?もちろん、意味付けは勝ってに、自由に、独自に、自分の中から湧いてくるものを求める事にはなりますが。意味は何も、行為のみとは限りません。行為を通して、感じられる感覚においても良いかと思います。本当はその方が、もっと広がりを持つと思います。行為に意味を持ち、感覚に意味を持ち、そして、分かつ事に意味を持つ。そして、たまには、何にも無い。ただ漂うようなセーリングもある。それだって意味を持つ。何も無い。エキサイティングでも無い。時には漂うのも悪く無い。

意味は考えても出て来ませんね。セーリングしながら、自然に湧いてくるものかと思います。そうなる為には、やはりとりあえず、向上を目指して乗るしかない。ある程度で乗らなくなると湧いてこないが、乗り続ける事によって、何らかのものが湧いてくる。これが次ぎのステップなのかもしれません。

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