第二十八話 美学 

美学という言葉があります。それこそ美しさ、あるいは、見た目だけでは無く、行動の美学とか、いろいろです。これは、言い方を変えれば各人のこだわりです。ある人はシングルハンドに美学を感じ、ある人はレースに美学を見出す。平たく言うと、何が好きか?何がカッコ良いと思うか、そういう事になります。

昨今、様々な物がその本来の機能においては、かなり満足できる範囲に入ってきました。それで、何をするかと言いますと、その他の付加的な機能の追加です。車もそうです。本来の走る機能に加えて、GPSはもちろん、テレビだ、DVDだ、CDだ、最近ではハードディスクも入っている。また、クルーズコントロールとか、いろんなセンサーが付いてたりします。携帯電話もそうです。機能競争みたいなもんです。確かに便利です。

さて、こういう機能を使いこなすのも便利なものですが、もうひとつの見方としては、デザインの美しさというものもあります。これは意外に欠かせない。いくら機能が優秀でも、デザインが見劣りすると判断しますと、なかなかそこには向かいがたい。反面、機能は多少は劣るものの、最低限自分に必要と思う機能さえあれば、後は我慢してでも、デザインで選ぶ。そういう美学もあります。

人は誰でも、何らかの美学を持っています。それを求めていくのが、遊びでは特に必要かと思います。理屈ではこれが良いというものがあったとしても、自分の感性では、あっちが良いとなりますと、どっちを選ぶか?遊びなら感性を優先させる。私なら絶対そうします。

美学は感性であり、感性は自分自身であり、それなしでは、面白く無い。そして、時には、つまらん事にこだわったりもします。しかし、それは自分の感じ方が変わらない限りはそうなのです。それで正しいと思います。今はそうなのですから。

自分のカッコ良さを追求していく。それができるのが遊びというジャンル。特にヨットは100%遊びの世界ですから、そこに理屈をこねくり回していきますと、何か気に入らない違和感が出てくる。そうなると面白く無い。これも、あそこも充分とは言いがたい。しかし、このヨットの持つ美しさは抜群であるとか、そういう一点の惚れこみがありますと、それを何とかしようと思います。それで、良いんだとおもう次第です。

美しさに惚れこんだら、ハルの色、ラインの色、カバー等々、全てに調和を見出したくなる。例え、走っている時には見えなくても、船底塗装の色だってこだわりたくなります。それが楽しさですから、そうあるべきだと思います。自分の楽しさの追求ですから。

人は、いろんな所にこだわりますが、それで良いかと思います。それが美学。外洋に美学を感じる人、スピード、機能、美しさ、いろいろありますが、それが楽しいし、理屈だけでは遊べない。よって、自分の美学はどこにあるのか?それをあらためて確認してはどうでしょうか?譲れない部分、最もカッコ良いと思う部分、それさえおさえておけば間違い無いと思う次第です。こういう場合、自分自身の我侭が前面に出てきます。家族や仲間の事など考えておれない。でも、まずは、自分自身が充分気に入る事が最優先で、家族や仲間は、どんなヨットであっても、何とかなるもんです。

家族が来ないのは、ヨットのせいでは無い。家族の為を思ってヨットを選んでも、家族は本来ヨットが好きなわけじゃない。本人が気に入って、喜々として遊ぶ事が、最優先だろうと思います。そして、そのうえで家族を招待します。オーナーが気に入ったヨットなら、家族はそれで良い。何しろ、滅多に来る事は無いのですから。ヨットでは無く、ヨットを使った、フィーリングでもてなす。ですから、オーナーはまあまあのヨットでは無く、惚れこむぐらいのヨットを探してください。いつかは、そういうヨットに出会う事を願ってます。

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