第十五話 良い事、悪い事

何かの出来事で、その瞬間に良いとか悪いとか思う事が普通ではあるのですが、長い目で見ますと、それが逆転したりする事もあります。そういう意味では、我々が普段やってる良いと悪いの判断はあてにならない事があります。

良いと思って、大きなヨットを買う。でも、実際稼動し始めますと、そうそう自由には動かせなかったとしますと、失敗かな?と思うかもしれません。それで、今度はサイズを少し小さめにする。最初から小さ目にしますと、大きいヨットの大変さは解らない。そういう意味では悪い事では無かった事になります。

始めてヨットに乗った時、強風で大きくヒールして、怖い思いをしました。しかし、後で振り返ってみますと、あれだけヒールしてもヨットは大丈夫なんだと思いなおしました。恐怖は悪いという判断でしたが、それがあったお陰で、大丈夫なんだと思い直すことができた。それからは、恐怖はスリルへと変わる。

そういう意味では、様々な経験というのは、勉強したという思いで、結局は良い事へと変える事ができる事になります。という事は、その都度、何かある度に良い悪いの判断をしない方が良いと言う事もできます。ただ、事に対応するのみで、考えようによっては全ては良い事になる。

良い事があると誰もが喜びますが、それが為に有頂天になり、傲慢になったり、天狗になったりします。そうすると、今度はそれが為に、悪い事が起きたりして、そこで学んで、やっぱりそれも良い事にまたなる。

結局は、良い事、悪い事、それらをどう解釈していくかがキーポイントのようです。否、解釈なんかしない方が良いのかもしれません。下手に解釈なんかするもんですから、苦しむ事になる。最近では少し脳に関する本が売れたり、テレビなんかでも取り上げられたりしますが、脳みそも使いようで、下手な解釈なんかには使わない方が良いのかもしれません。事実だけを見る。頭を使いすぎるのが我々現代人の悪い癖かもしれません。

それじゃあ、人生楽しく無い?否、いちいち出来事に対して一喜一憂するよりも、事実だけを見て、解釈はしないで対応だけをする。でも、同時に、何を感じているかを意識していく。楽しんだり、面白がったりするのは、出来事では無く、そこから引き出される自分の感情かもしれません。自分の感情を自分が楽しむ?ちょっと変な話です。でも、そこに善悪は無い。

結局、新しいヨットが来たら喜び、でも、時間が経つと、最初の喜びのままでは居られない。次か次に変化しますから、次から次に起こる事を楽しんでいけた方が良い。スプレーを楽しみ、強風のスリルを楽しみ、快走を楽しむ。結局は、俗に言う良い事だけ楽しもうと思いますと、無理があるのではないか?できれば、全部楽しむ事ができれば。出来事の全部では無く、その経験から起こるであろう、自分のいろんな感情を楽しむ事ができれば、それ以上の事は無い。理想論です。

それで、まるで、映画を見るように、自分の人生を楽しむ事ができれば、と思います。変な話、若い男女が愛し合って結婚します。そういうドラマがテレビでありますね。まるで理想のように。でも、人生はその後何十年も続く、とふとそう思ってしまう。世界一周を夢見た人が、それを達成しますと、大変な喜びでしょう。でも、ふと、その後も人生は続いていくと考えてしまいます。決して否定は致しませんが、ここも解釈次第ではないかと思います。一時の良い事を喜び、一時の悪い事を悲しむのも人生ですが、できれば、長いプロセスとしての人生を。全体的に楽しむ事ができないか、と考えてしまいます。全てはプロセスの一部に過ぎない。その後は、どんな展開になっていくのか?へそ曲がりなのかもしれません。変人かもしれません。

ヨットを手に入れ、ヨットを始め、いろんな経験をして、確かに、その都度には良い事も悪い事もあるでしょうが、それらの点として出来事は一瞬であり、プロセスの一部であり、善悪の判断を下しても、それらは後々変化していく事を考えれば、トータルとして見て、面白い演出ができないかと思います。全体の流れとして見ながら、面白くするにはどうしたら良いか?そういう観点から見ますと、自分のスタイルが見えて来ないか?

自分で自分の小説を書くようなものかもしれません。どんな内容にするかは自分次第かもしれません。人は頑張る事を称えます。頑張れよ!と声援をおくる。何を頑張るのか?それを頑張って達成しても、やはりその後も人生は続く。頑張って、頑張って、死ぬまで頑張る。重要な事は頑張って、頑張って、何かを達成するというより、頑張っている自分を楽しめるか?という事ではないか?頑張る自分を楽しめないなら、やめた方が良い。別の楽しめる自分を創ったほうが良いような気がします。結果よりも、プロセスが大事かと思う次第です。いろんな事がある人生、そのいろんな事の結果を点として、そして、その集合の線として、楽しむ事ができないか?それができるなら、結果に捉われる事も無いし、多分、結果もそれなりに出てくるのではないだろうかという気がします。

ところが、長い習慣によって築かれてきた癖ですから、簡単には変えれません。それで、やっぱり、今何を考えているのか、感じているのか、いつも意識しておくのが良いような気がします。今乗っているヨットの運営の仕方、実際の行動の中で、一体自分の本音はどこにあるのか?このままで良いか?或いは、別の何かを求めているのか?このあたりから、本当の自分スタイルが見出せそうな気がします。セーリングを心から楽しみたいのか?みんなとの集いが楽しくてしょうが無いのか?どこかへの冒険の旅にわくわく感を感じるのか?レースでのドキドキ感が面白いのか?じっくり自分の中を探ってみる。それには、いつも、行動とは別に、自分の中を意識するのが良いのではないかという気がします。簡単ではありませんが、時に、何の理由も無く、感覚的に合う合わないとか、違和感とか、惹かれる感じとかを感じる事があります。そこに自分も知らない本音があるような気がしています。 何にも捉われない、自由な判断ができるんじゃないか?でも、それを行動に移すのには勇気が必要な事がありますね。一種の冒険です。これにも慣れてしまえば、自由自在?

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