第六十九話 いかに?

高度経済成長において右肩上がりの成長をしてきました。そして今日、高度に発展してきた社会においては、昔のように成長する事はなくなりました。考えて見れば、どこの家にもテレビや車、たいていの物はあるわけで、昔のように強烈にこれがほしいという事、無ければならないなんて思わないわけです。

こんな時代に望まれることは、各個人の内面的な成長ではないかと思います。一方で、インタネットカフェ難民や、フリーターや、派遣社員、ホームレスの問題等が叫ばれます。そんな時代ではありますが、それはまだ高度経済成長をひきづる反動のような、或いは次のステップに行く前ぶれのような気がします。

心の時代とか言われた事がありますが、あれはたぶんに言葉だけだったような気がします。しかし、今こそ、心が問われる時代に入ってきたのかもしれません。物を手に入れる時代から、いかにという時代なのではないかと思います。

お金は誰でもほしいものです。稼ぐ事に一生懸命になりますが、一方では、これをいかに使うか?これが重要です。いかにの時代ではないでしょうか?物を手に入れる、いかに使うか?これが心の時代なのではないかと思います。

そこで豊かな人生をおくるには、いかにを考えます。その為には学ぶ事が必要になり、その学びを体験にして、また学び、ぐるぐる循環させて、質を高める事を考えます。知識として知っているだけでは駄目で、知識はインターネットの社会に豊富にあります。しかし、知識を得て、それを身につけるには体験が必要になり、この循環が必要になります。これが質を上げる事につながり、心を豊かにする方法ではないかと思います。物さえあれば幸せだった時代から、今からは難しい時代、幸福を得るには難しい時代、高度に、複雑なったとも言えると思います。一方で、自分次第ですから、簡単になったとも言えます。自主性の時代とも言えます。幸福は社会が与えてくれた時代から、自分で創り出す時代への移行かとも思います。

そこで、ヨットです。ヨットをいかに乗りこなすかが重要かと思います。それで最も良い方法が、デイセーリングなのです。基本中の基本であり、全てはここから発展させる事ができると思います。セーリングのノウハウ、海、波、風、自然の知識、全て学ぶ事ができます。ここにおいて、自由自在になれるなら、自分の中にいろんなものを積み重ねていけるなら、そしてそれを受け入れるなら、それが幸福へと繋がっていくのではないか?自分の中に積み重なった財産のようなものです。これは、他の誰も同じものは無く、自分独自のもの、かなり自主性が必要です。でも、外部からはもはや幸福は与えられなくなり、自分の中に、自分で積み上げていかなければならない時代かと思います。そういう意味では、これからは、人によって格差もできてしまうでしょう。でも、これは自分次第なんだろうと思います。

自分独自の技術や知識や経験を持つ事、これこそが、これからの心の時代に必要な事ではないかと思う次第です。ですから、何をするにしても、いかにを問いましょう。セーリングをするにしてもいかにです。結果からプロセスへ、外部から内部へ、何の事は無い。自分の好きな事を、求めるに過ぎません。

それに伴うのが、フィーリングだろうと思います。いかにを問い、そしてどんなフィーリングを得てきたか?良いも悪いも含めて、トータルのフィーリングです。物からフィーリングへの転換です。もちろん、循環しますから、フィーリングいかんによって、ヨットの良し悪しにフィードバックされ、またフィーリングに行く。この場合の物はフィーリングを満たすものという視点になります。

少しでもセーリングに習熟して、そのフィーリングを味わうという行為は、どこにも売っていません。しかし、目の前にあるものであり、誰でもその気になれば得られるものでもあります。でも、今は貴重であります。自分の血となり、肉となった知識、経験、感覚、技術、それが貴重なのではないかと思います。

次へ       目次へ