第三十七話 マニュアル&オートマチック

車は殆どがオートマチックになりました。マニュアルの方が少ない。オートマチックの方が楽ですし、それに最近では性能も良いので、走るにもストレスを感じ無くなってきました。便利で楽で、それでいて性能を発揮する。これが求められます。楽だけど、トロトロ走ってはストレスが溜まるし、ギアチェンジの度にガクガクしていたのではストレスが溜まる。でも、最近の車は実に完成度が高いですね。

同じ事をヨットについて考えますと、当然ながら、便利で楽で、それでいて快走できるヨットが良いという事になります。しかし、いかんせんヨットは風で走るのが本来の姿です。その風をコントロールできない。エンジンに燃料を供給するように供給量を自由調整できるわけではありません。それが不便ではあります。

もし、舵さえコントロールしていれば、あとは自由自在にどんなコースでも、どんな風でも走れるというのなら、それは便利ではあります。まさしくオートマチックであります。しかし、こういは行かないのがヨット。最大の燃料である風が自然のものである限りこうはいかない。

結局、最大限便利にはするけれども、最後の風だけはどうしようも無い。吹く時は吹くし、吹かない時は吹かない。こればかりはどうにもなりません。しかし、そのどうしようも無い風を使って遊ぶのがセーリングというもので、本来はこのどうにもならない自然と遊ぶのが目的であります。不便を遊ぶという行為に他ならない。この不便さを避けようと考えますから、エンジンという事になってしまいます。

でも、もう一度、エンジンを切って、セーリングについて考えてほしいと思います。エンジンで快走してもちっとも感動はしませんが、セーリングだと感動する事があります。それは何故か?たかだか数ノットしか出ないスピードにスリルを感じる事もあります。ヨットひとつひとつにそれぞれの乗り味の違いもあります。セーリングは、そういう不便でありながら、その不便さをいかに遊ぶかにかかっており、それを楽しむ行為であります。

時代はどんどん進化して、便利になり、オートマチック化されていきます。しかし、セーリングそのものはいつまでもマニュアルです。そうでなければ、セーリングはちっとも面白く無い、ただの移動手段になってしまう。シートを引いたりを電動ウィンチでできる。しかし、どの程度調整したら良いかがマニュアルです。このマニュアル部分が無くなりますと、セーリングはお終いです。

日本にある殆どはクルージング艇です。でも多くがセーリングを忘れてきています。でも、ヨットが持つ最大の魅力、ヨットに乗りたいという動機、それはセーリングのエキゾチック性にあると思います。いかにセーリングするかは、最大の遊びであり、基本でもある。

吹かない時は吹かないように、吹く時はそれなりに、自然のままにセーリングを楽しむ事ができれば、良いなと思います。本来、それが目的なのですから。雨が降れば濡れる。飛沫が飛んでくればかぶる。自然のままに遊べれば、こんな身近で楽しめる事は無い。自然のままを受け入れる準備が出来たなら、ちょっと1時間、2時間のセーリングに、その時々の味わいを得る事ができますし、実に気が楽であります。自然をそのまま味わうというのは、実に癒し効果があります。風が強いから嫌、風が無いから嫌、雨が降るから、寒いから、暑いからとその都度嫌と感じるなら、楽しむ事はできませんが、そのままを受け入れる事ができれば、嫌とさえ思わなければ、セーリングは実に効果的であります。

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