第十三話 少ない労力で最大限の面白さを得る

セーリングというのは、肉体的なスポーツという面もありますが、むしろ頭脳を使った知的スポーツ性が高いような気がします。装備次第によっては、いろんな操作が楽にできるように装備する事ができます。しかし、それでも変わらないのはセーリングそのものであります。

我々、もはや肉体的にも若くなくなった時、体力は落ちていくばかりかもしれません。しかし、それらは装備によって、船の大きさによって、補う事ができる。それでも、ヨットが面白いのは、ヨットが知的セーリングを行うスポーツだからではないかと思います。

セーリングは体力と知性を使いますが、知性の幅をもっと増やして、楽に知的にスポーツできる。頭脳は常に鍛えておいた方が良いですし、少ない労力で、最大の面白さを味わうには知的スポーツをする事かと思います。

セールトリミングと一言で言っても、やる事はいろいろあるし、おまけに風も方向が変わるし、風力も変わる。変わった風に対して、随時適切なトリミングをするには、少しの労力と、知性が必要になります。知性を使う事によって、労力をも軽減する事ができる。これがレースならのんびりなんかしておれません。素早く、パッパッとやる必要もあるでしょうが、セーリングを純粋に楽しもうというデイセーラーにとっては、そんな労力は不要です。でも、うまくなると、最低限の労力で、効率良くやれるようになる。

それで、前話で書いたように、角度を加えていく事で、さらに知性が刺激されます。これらは、のんびりエンジンで走る旅とは異質のものであります。人は頭脳を持っていますから、難しい面も確かにあるでしょうが、少しづつでも知識が増えたり、新しい事を体験して、知ったりすると、喜びを感じます。それを自分が使う事ができて、自分が進化、向上していくのも嬉しさを感じるDNAを誰もが持っている。

何も考えずに、ぶらぶらとそこらじゅうを走るというセーリングの仕方もあります。でも、時にこういう知的スポーツを織り交ぜていきますと、変化が生まれ、面白さは何倍にもなっていくと思います。そして数年後は、その差は大きなものになる。遊び方の質が違ってくる。それらは、最初はわからないので、いろいろ試行錯誤があるでしょうが、やがては、知識が蓄積され、それらは一生失う事の無い財産であります。

セーリングにおいて、いかに知性を使うか、それが大人の遊び方であります。でかいヨットにはスピードでは勝てない、若い人達には体力では勝てない。でも、知性となると話は違う。面白く、楽しんでいるかどうかは、体力や船の大きさでは無い。面白さは知性の中にあると思います。

ヨットという手段を使って、知性を駆使しながら、少ない労力で遊ぶ。それらを楽しむには、必死で考えるのでは無く、遊び心が必要です。興味と、遊び、今日はこうやって遊んでみるか、という気持ちです。自分のヨットはどのぐらい風に対して上れるのか?そういう疑問を持つと、やってみる。ぎりぎりまで上れる角度を見つける。その時に、風に対して上っていく最中に、どんな風になるか?セールのテルテールの流れ方、どの時点までいくと裏風が入ってくるか?風の強さによっても違う。

結局は、セーリングというのは、体を使ってやりますが、ゴールは知性と感性である事に気付きます。行為から始まり、知性を使い、最後は感性でもって面白いと感じる。感動もある。或いは、辛いこともあるでしょう。でも、やっぱり、セーリングは知性のスポーツ、そして、感性で締めくくる。感性がそこに面白さを感じなければ、またやろうとは思いません。

セーリングを知的に遊ぶには、知的アプローチが必要になります。それに観察力と感じる力です。それを少ない労力でやる。それにはデイセーリングはピッタリかと思います。熟年にはピッタリかと思います。体力の代わりに頭脳と観察力を、そして、最も重要なのが、感じる心であります。

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