第七十二話 理屈を越えるもの

何かを考える時は理性で考えます。こうして、ああして、理論的な思考を巡らす。自分のコンセプトがはっきりしていれば、それに沿って、ヨットの種類を選び、長さを選び、そしていろんなデータを比較したりします。多分、この部分はこれが良いが、別な部分はあっちが良いとか、そうなる事が多いと思います。それで、結局最後の決め手は何かと言いますと、理屈では無く、感性だろうと思います。

ヨット選びに限らず、いろんな場面で理性的判断をするのが良しとされますが、しかしながら、実際はいろんな偶然が重なり合う事が多いのが実情ではないかと思います。ある判断をして、それが失敗に思えても、後々、それが幸いとなる事もあるし、逆もある。つまり、スポット的に見ますと、ああだ、こうだとありますが、それが長い目で見た時、結果として異なる場合もあります。否、結構あるような気がします。しかし、我々には、その先々まで見越した判断はできないもので、結局、理屈で考えて、十分考えたつもりでも結果は解らない。そこにはいろんな偶然が積み重なっていく。
よって解らないものはは考えない。

最初から、考えないではまた困りますので、充分に理屈で考えたら、その後は、感性で判断する。勘ですね。或いはサイコロ振っても良いかもしれません。ところで、サイコロは6面ですが、確率というのがあります。1から6まで、サイコロ振って出る目は解りません。6分の1の確率です。でも、10回や20回振っても、均等には出無いが、何百回も振ると、全ての目がだいたい均等に出てくる。4回も5回も同じ目が出る事もありながら、回数が増えるとみんな均等になっていく。当たり前のようで、不思議とも考えられます。

交通事故のような出来事も、狭い地域ですと、今月は5件とか10件とか、月によってバラバラですが、広い地域、それに年間にすると大きくは違わない。多少の上下はあっても、一挙に倍や半分になったりはしない。時の流れとともに緩やかに変化はしていくものの、激変する事は無い。

ミクロ的に見ますと、いろんな事が起きて、激変したりしますが、マクロ的に見ますと、あまり大きくは変わらないのが実情です。しかしながら、考えてみますと、何もそうである必要性は無くて、今年は去年の半分だったとか、2倍、3倍だったとかがあっても不思議では無いような気がしますが、何故か大きくは変わりません。我々の商売にしても、年度によって大きく変化してもおかしくないはずです。ところが、みんなが申しあわせたかのように、買い替えは今年に、或いは来年にとか、トータルするとあまり毎年激変はしない。徐々に変化していきます。

世界で起こるいろんな事が、良い事も悪い事も変化はしますが、激変はしない。ある本に載っていたのですが、犬に噛まれる被害があって、年間にすると毎年同じぐらいの件数になっているそうです。これもまるで犬同士が打ち合わせしているかのように。これも考えて見れば変な話かもしれません。犬の数がある程度一定であるからといって、人に噛み付くという被害が、年によって大きく変化しても良いはずなのですが、それがあまり変わらないとなると、これはどうしたことか?

つまり、理論を越えて、何か流れがあるような気がします。それが偶然として認識される。全体としての確率という数学で理解しようとしますが、それにしても個々の場合、その偶然があまりにも大きく影響を与える。この偶然を科学的に予測する事はできません。あくまで確率です。これが何故かは解らないものの、この偶然にどう対処するか?どう対処するかと言っても、解らないものは解らない。それで、理論的に考えて、最後は勘で決めるしか無い。最後は曖昧さが残る。どう理論的に組み立てても、偶然によってどう変わるかは解らない。

現代はこの偶然がわからないので、何とか理屈で攻めようとします。こうしたら、ああする。何でも細かく分析して、それにはこう対応するとか、いろんな事を分析して解れば解るほど、こうする、ああするで、非常に窮屈です。昔は解らなかったのでいい加減でした。でも、おおらかでした。今はどんどん窮屈になっています。ルールもどんどん増える。こうしたら病気になる、この症状はほっといたら危ない。そんな話も横行します。それじゃ毎日びくびくして過ごす事になる。もういい加減にしてくれと言いたくなる。今の社会はそんな風になってきているような気がします。解れば対応ができて良い事になりますが、解れば解るほど窮屈にもなる。

それで、少し転換して、理論は考える。その後は運任せ、偶然任せ、なるようになる。と、ちょっといい加減になった方が良い。リラックスして、考えない方が良い。その方が楽に過ごせる。ですから、最後は勘で決める。サイコロで決める。それぐらいの方がおおらかです。確率は全体を考慮しますが、我々の一番の関心事は自分の個に対する偶然の有り方でしょう。それには、理論+自分の感性で対応する。確率で生きているわけでは無く、個人として生きてます。

感性を高める為には、感じる事を普段から意識しておくのが良いと思います。仕事を一生懸命やって、ヨット遊びも多いにやる。ヨット遊び、特にセーリングは感性を磨くに最高かと思います。勝った、負けたの試合をしますと、それはそれで面白いのですが、勝ち負けの無いゲームはなかなか動機を高めるには少し難しいかもしれませんが、感じる事に重点を置きますと、なかなか良いゲームになる。もっとリラックスして、おおらかに遊びましょう。感じる遊びです。

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