第四十一話 ヨットの使い道

ヨットの使い道はたくさんあるようで、実はあまりない。キャビンは家としての使い方しか知らないし、セールでは帆走するしかない。或いは、エンジンでの移動です。後はそれぞれのバリエーションです。

ヨットは家の前にあるのが理想です。でも、別荘なら、家の前にあったんでは、ただの離れになってしまう。遠い方が良い、環境が変わった方が良い、ですから沖縄なんかにあった方が楽しめる。

ヨットは動くと言っても、1日しか無いなら、たかが知れてます。5ノット平均で走っても、往復ありますから、片道5時間としても半径25マイル。でも、行った先で少しのんびりしたいなら、5マイルか10マイル以内がせいぜい。2日あっても、50マイル半径、50マイル半径内に何があるだろう。そう考えると、少なくとも、4〜5日ぐらいはほしい。そうすると、年に何回行けるだろうか?

すぐ近くに、島がたくさんあったり、アンカーを打てる入江があったりする方々は幸いです。バリエーションはもっとある。それでも、環境側に意識をいつも置いているなら、変化には限度があります。まして、何も無いとしたら、どうしたら良いやら。

セーリングに目覚めた方は幸いです。場所を選ばないからです。海さえあれば、変化はセーリングの中にあるので、いつも変化していますので飽きる事が無い。

便利さを享受しているだけでは、そのうち飽きてくる。便利になったから、不便な人よりも、もっと何倍も遊ぶ事ができる。そう思えれば幸いです。オートパイロットは運転手ではありません。運転手が居て有り難いのは、どこかに移動する為に乗ってる時で、運転がしたいわけでは無く、移動したいだけの時です。面白いのは運転で、それをオートパイロットに与える必要は無い。

海を見渡して、何時間、すると変化するのは、風と波ぐらい。太陽も変化しますね。風景は変わらない。それで、自分が移動すると風景が変わる。変化を求めるには、風と波を見るか、自分が移動するしかない。

風と波は時に凶暴にもなる。それが怖い。全くのおとなしい無風状態から、強風吹き荒れる凶暴さを持つ。こんなに幅の広いバリエーションを持つのは他に何があるだろう。凶暴者と戦うのは無謀だが、その代わり我々には頭脳がある。凶暴者を避けて通る方法はある。それには知恵が必要だが、最初から通らないよりは変化を楽しむ事ができる。それは何もしない退屈さの方が、もっと始末に悪い。退屈なほど無益な事は無い。

セーリングの知識や技術は何にも役立たないが、役に立たない知識や技術を持っている事は、文化の高い証拠ではないか?だからおおいに自慢できる。誰も聞いても解らないが。でも、文化の高さは誰でも感じとれるでしょう。ヨットはお金で買えるが、文化は買えない。

仕事をするには、その仕事を自分の物にしなければならない。ヨットも同じではないか、何だって同じ。自分の物になれば、知恵も出る。もっと、もっと自分の物にしなければ。自分の物になって、はじめてヨットも仕事も面白くなる。

気儘な風と遊ぶ心得は、謙虚である事が必要かもしれない。社会では謙虚になる事がなかなか難しい。ヨットはそれを教えてくれます。頭脳優先の社会では、感じる事は二の次になる。でも、人にとってもっとも大切な事は感じる事。それもヨットが教えてくれる。バランスを取る事、風や波に対応する事、何でも教えてくれます。

旅は確かに楽しい。旅の航程を楽しみ、到着地点を楽しむ。しかし、長いヨットの旅には荒天もつきもの、それが嫌いです。荒天だけならまだしも、目的地を同時に持っているのがいけません。方角だけなら良いかも。それで楽しむのは到着地点だけになる。だから急いで行きましょう。その日の暗くなる前までに着かなければというしばりは、結構きつい。でも、着かないともっときつい。

セーリングも、ぼ〜っとしているとただの短い距離の移動になってしまう。だから、セーリングする時は頭を使い、心に何らかのフィーリングを感じさせてやらなければならない。セーリングは知性と感性の遊びです。

外洋の旅は、その日にどこかに到着しなければならないという事が無い。方角だけが決まっている。それなら、焦らなくても、のんびりもできる。航程を楽しむ事ができる。ショートクルージングなら、エンジンを使うのは当然だろう。目的地があるのですから。

オーナーが自分のヨットを越えてしまったら。ヨットは道具にもなるし、おもちゃにもなる。そうなったら、きっとその先のヨットでできる何かを、いかに楽しむかを考える。そうする為にヨットをどうするべきかも解る。それは操船技術とは違う。気持ちで越える。

セーリング中に、セールをきれいにはれたら気持ちが良い。流れるように走るヨットの舵を持つ気分はなかなか他では味わえない。そこにスピードが乗ってくると、鳥肌が立つような事もある。海の上という不安定な中で、バランスがきれいに取れて快走する味わいは、何とも言えません。車もバイクも自転車も、みんな安定した地べたの上、それに比べたら、ヨットの不安定さは緊張を生む。
その緊張感の中で快走を味わえたら、最高のフィーリングに襲われる。その為にヨットに乗る。
風が強すぎたり、弱すぎたり、波が高かったりもある。だからいつも快走とは行かない。だから、たまに来る快走感は、それ程に価値がある。

ヨットの面白さには、ある程度のスピード感が必要です。スピード感は絶対何ノットという数値では表す事ができない。ヨットはスピードの面では最高のレーサーでさえ遅い。にも関わらず、スピード感としては速い。小さなヨットのスピード感と大きなヨットのスピード感も違う。どっちが速いというよりも、スピード感のある方が遊びとしては面白い。

そよ風のスピード感が無い時は、違う工夫も必要です。エンジン駆けて帰るのもひとつの手ですが、風速何ノットで、スピードが何ノット出るか試してみるというのも手です。帰って、ヨット掃除かメインテナンスに切り替えてもいい。そよ風の時は、反応が明確では無いので、より難しい。ならば、そこにも何か繊細さがあり、それを楽しむ事はできないか?どんなタックをしたら、スピードをより落とさないか?そういう事もある。

楽しいだけなら、底が知れてる。面白く無いと10年やり続けるのは難しい。面白いと10年はあっという間に来る。何が面白いかって、知性と感性の両方を刺激するからではないか。そして、より質の高いセーリングに変化し続ける。

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